ーーご自身の目標とされていたJリーグのオープニングゲームへの出場が叶い、その約2年半後に現役引退をご決断されました。まずは引退の経緯についてお伺いしたいのですが。
「僕の目標だった木村和司さんが94年に引退されたのですが、同じタイミングで辞めるわけにはいかないだろうという思いがあって、『もう1シーズンやろう』と決めました。ただ、95年の契約を結ぶ前に、アルゼンチンからソラリという新しい監督が来たことも含めて、マリノスの体制がガラッと変わったんです。その時に自分の契約を1年間ではなく、あえて半年にしました。新体制のもとで自分がサッカー選手として生きていけるかというのをチャレンジとして課して、この半年でダメだったらもう辞めようと。そういうシーズンにしていました。ある選手が開幕直前にケガをして、それによって僕は開幕戦に出場できたんですけど、ケガをした選手が復帰したというのと、僕自身もケガをしてしまったということもあり、その後はなかなか出番が回ってきませんでしたね」
ーーマリノス自体もシーズン途中で監督が代わったりと、激動の年でしたよね。
「そうそう。この年の夏に色々あって、監督が早野宏史さんに代わりました。また自分にチャンスが巡ってくるかもという思いがあったので、早野さんに『自分はまだ(プロサッカー選手として)生きられるか』というのを聞きに行ったんです。そしたら『もういいんじゃないか』というふうに引導を渡されて。それで僕は『なら辞めよう』と決めました」
ーーその時に、どういった感情が水沼さんの中でこみ上げてきましたか。
「監督が代われば当然チャンスが出てくるし、早野さんは昔から知っている人だったので、『もしかしたらチャンスをくれるかな』と思っていました。ただ、それは甘かったと。早野さんは早野さんなりに考えて、『お前はもう、違う道に進め』という感じで、僕に対してリスペクトの気持ちを示してくれたのではないかと、今では思っています。ただ、当時は『チャンスが無いんだったら......』と思って普通に辞めました」
ーー確か、95年7月30日に三ツ沢球技場で木村和司選手の引退試合があって、水沼さんはその試合に出場されましたよね。水沼さんが引退を発表されたのはこの試合の後だったはずですが。
「(引退を発表したのは)多分この試合の翌日か翌々日だったと思います。ただ、木村さんの引退試合の時には、僕も既に『辞める』という決心を固めていました。なので『自分の引退試合でもある』と心の中で思ってあの日はピッチに立ちましたね。実はあの日、宏太(現横浜F・マリノス)を初めてピッチに連れて行ったんです。僕はここで辞めるけど、バトンを託すというような意味合いで。今では選手たちが当たり前のように子どもたちと一緒に試合前に入場していますけど、僕はそれまでそれをやったことがなくて。現役ラストゲームで初めて宏太と手を繋ぎながら試合前の選手入場をしたんです。宏太も当時のことを何となく覚えているみたい(笑)。他のチームで現役を続けるという選択肢もあったかもしれませんけど、自分が好きだったチームで現役生活を終えたいという気持ちのほうが強くて、この試合の翌日か翌々日に引退を発表しました」
ーー引退をご決断された当時もご自身のキャリアを振り返り、色々な感情がこみ上げてきたと思います。日本代表、日産自動車、そしてマリノスでのサッカー人生を改めて振り返って頂いて、どういったお気持ちが一番強いですか。
「色々な時代を経てきましたからね。サッカー低迷期と言われていた80年代の日本サッカーリーグ時代から僕はずっと絡んでいましたし、代表でも『あともう少しでワールドカップやオリンピックだ』というところまで行きながら結局切符を掴めなかったりとか。ただ、そういったことがありながらも最終的にはプロとして2年半もやれた、創設されたばかりのJリーグに選手として関われたというのは“感謝”という言葉に尽きますね。僕の前にもたくさんの偉大な選手たちがいて、プロリーグという舞台でプレイすることが叶わなかった方々が大勢いるなかで、僕なんかが2年半もその舞台に立たせてもらった。それまで自分がやってきたことが社会に認められて、そんな幸せな時代を2年半も過ごせたことに対する感謝の気持ちが一番強いですね」
ーー水沼さんは現役引退後、サッカー解説者や指導者としてご活動されています。現役時代のご経験が今の活動にどのように活かされていますか。
「解説者としても指導者としても、サッカーをやっている選手たちの気持ちが分かるというのが大きいですかね。どちらの仕事をしている時でも、選手たちの『もっとうまくなりたい』という気持ちをこちらが感じ取れた瞬間が僕にとって一番嬉しいです」
ーー93年に始まったJリーグも今年で27周年目を迎えました。これも水沼さんをはじめ、たくさんの方のご尽力があってこそだったと思います。最後に、今Jリーグでプレイしている選手たちや、Jリーグを愛してやまないサポーターの方にむけてメッセージをお願いします。
「選手については目の前にある1試合1試合をしっかり戦うこと、サポーターもその1試合をしっかり応援して目に焼き付ける、これを続けていくしかないんじゃないかと思います。コロナ騒動で大変な状況に置かれている今、『できることをやりましょう』という風に皆さん声をかけ合っていますよね? これは選手とサポーターの両方に言えることです。選手の一生懸命な姿が観ている人の心を打つし、その全てがみんなの頭の中に残っていく。これは93年5月15日の開幕戦で僕たちが証明したことですし、サッカーをやれることであったり、観れるのが当たり前ではないんだよということが、今回みんなが実体験として痛感したと思うので。当然、Jのスケジュールが出たときにサポーターの皆さんは『この日は行ける、この日は行けない』とか考えると思うんですよね。考えるけれども、行っている試合の一つひとつを大事に観てほしい。それが、かつてJリーグでプレイし、観てもらえることが当たり前でない時代にサッカーに打ち込んでいた僕からのメッセージです」
水沼貴史(みずぬま たかし):サッカー解説者/元日本代表。Jリーグ開幕(1993年)以降、横浜マリノスのベテランとしてチームを牽引し、1995年に現役引退。引退後は解説者やコメンテーターとして活躍する一方、青少年へのサッカーの普及にも携わる。近年はサッカーやスポーツを通じてのコミュニケーションや、親子や家族の絆をテーマにしたイベントや教室に積極的に参加。幅広い年代層の人々にサッカーの魅力を伝えている。
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