デ・ブライネのサッカー人生は、タイトル獲得とともにあった。17歳でプロデビューを飾ったRKCヘンクでは4シーズンを戦い、2010-11にジュピラー・プロ・リーグに優勝している。
その後、活躍が目にとまりチェルシーに移籍したが、レンタルでブレーメンへ。このブレーメンとレンタルから戻ったチェルシーでのタイトル獲得はなかったが、ブレーメンでは1年間、ジョゼ・モウリーニョが指揮官だったチェルシーでは半年しかプレイしていない。
チェルシーを出たデ・ブライネが次にプレイしたのはヴォルフスブルクで、ここも1年半の在籍と短かったが、14-15ブンデスリーガで2位となり、DFBポカールには優勝している。個人としても10得点20アシストでドイツ年間最優秀選手に輝いている。
才能ある若手はすぐにメガクラブに引き抜かれるのが常で、15-16にはマンCへ移籍。当時のマンCは2008年にオーナーとなったUAEの投資グループのもと戦力を充実させ、11-12にプレミアリーグ初優勝、13-14にも優勝を飾っていた上り調子で、デ・ブライネの獲得にはクラブ史上最高額だった7600万ユーロ(当時約101億円)が支払われている。さらに、翌年16-17にはペップ・グアルディオラが招聘されている。
稀代の戦術家のもとデ・ブライネがプレイしたのは[4-3-3]のインサイドハーフや[4-2-3-1]のトップ下で、ここからのマンCは毎シーズンのようになんらかのタイトルを獲得していった。圧巻だったのは18-19で、プレミアリーグ、FA杯、カラバオ杯のトレブル(国内3冠)を達成。これは、イングランド史上初の快挙だった。このシーズンのデ・ブライネはケガのため欠場期間があってフル稼働したわけではなかったが、ピッチにいるとやはりボールの落ち着き方が違った。
マンCは20-21からプレミアリーグ4連覇を達成し、22-23にはついにチャンピオンズリーグを制覇して欧州王者となった。この間、デ・ブライネはチーム状況に応じて中盤だけではなく、20-21などはトップでプレイしたときもあった。グアルディオラのもとジョアン・カンセロが偽サイドバックの動きをみせるなど戦術が複雑化するなか、デ・ブライネはどのポジションでも柔軟に対応し、巧みなボールコントロール、正確で質が高い長短のパス、精度の高いフィニッシュで攻撃の主軸であり続けた。
19-20、20-21は2年連続でプロフェッショナル・フットボーラーズ・アソシエーション (PFA)が選出するPFA年間最優秀選手賞を受賞している。2年連続でこの賞を得ているのは、今日までにティエリ・アンリ、クリスティアーノ・ロナウド、デ・ブライネの3人しかいない。マンCはもちろん、プレミアリーグを代表する選手でもあり続けたと言える。
また、日本人には忘れられないワンシーンにからんだ選手でもある。2018年ロシアW杯ラウンド16の日本×ベルギーは終了間際を迎えて2-2という死闘となった。90分を過ぎてCKのチャンスをつかんだのは日本で、土壇場での勝ち越しが期待された。
しかし、本田圭佑の蹴ったボールはGKティボー・クルトワにキャッチされ、素早くカウンターへとつながるパスが出された。機敏に反応してこのパスを受けたのがデ・ブライネで、グイグイと前方に運ばれて痛恨の失点につながるパスを出されている。
自分で得点できるし、アシストやアシストのひとつ前のパスが多い。マンCでは在籍10年で公式戦108得点177アシスト。20-21のチャンピオンズリーグ決勝では相手と接触して鼻骨および眼窩底骨折で途中交代、22-23のチャンピオンズリーグ決勝ではハムストリングを痛めて前半途中で交代。ケガによってなかなかフル稼働できなかったが、デ・ブライネは間違いなくマンCの“顔”だった。自分はファイナルの途中でピッチを去ったが、22-23には悲願のチャンピオンズリーグ制覇を果たしている。昨季ホーム最終戦で満員のサポーターから送られた万雷の拍手には、10年間の感謝が込められていた。