死に直面しても学びを諦めないミハイロビッチの気概  「コンテとペップと会う予定があった」と息子が明かす

白血病と戦いながら指導者としての研鑽を積んだミハイロビッチ氏 photo/Getty Images

ミラン時代には本田圭佑、ボローニャ時代には冨安健洋を指導

セリエAのクラブを中心に活躍し、現役引退後は指導者として活躍していた元ユーゴスラビア代表DFシニシャ・ミハイロビッチ氏は昨年12月に53歳という若さで逝去した。

そんなミハイロビッチ氏が、渡英しアントニオ・コンテやペップ・グアルディオラと会う予定があったことを同氏の息子たちが明かした。英メディア『football Italia』が報じている。

現役時代にはローマ、インテル、ラツィオ、サンプドリアなどで活躍した。ラツィオに所属していた1998-99シーズンにはフリーキックのみでのハットトリックを達成。正確無比な左足を武器に、数々のゴールやアシストを決めてきた。現役引退後は指導者に転身し、ボローニャ、セルビア代表、サンプドリア、ミランなどで指揮を執った。
ボローニャ時代に白血病を公表し、病気と闘いながらも監督業を続けた。22-23シーズンも開幕からチームを率いていたが、第5節終了時点で成績不振により解任が決定していた。

ミハイロビッチ氏の息子たちは同氏について「最後の入院をする前日、父は友人たちに電話をかけ、とても喜んでいた。コンテとペップ・グアルディオラにも電話をかけ、プロのテクニックを学び、刷新するためにイングランドへの旅行を計画していた」と語った。

さらに「父が自分自身に楽しみを与えるためにそのような計画を立てたのかわからない。ただ、最後の1ヵ月は、かなり悪い状態だった。しかしボローニャは彼のために多くのことをやってくれたし、父さんはいつも計り知れない強さで応えてくれた」という。

指導者時代は、本田圭佑や冨安健洋を指導したミハイロビッチ氏。プレイヤー、指導者としてサッカー界に多大なる貢献をした同氏は、死に直面してなお監督として学ぶことを諦めなかった。その振る舞いには賞賛の言葉しか出てこない。

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