チェルシーの主将として同クラブで長きにわたって活躍し、2018年に現役を引退した元イングランド代表DFジョン・テリー氏は誰もが認める同クラブのレジェンドだ。キャリア終盤こそアストン・ヴィラでプレイしたものの、彼がいまだにロンドンの人々から愛される存在であることは間違いない。
そんなテリー氏だが、キャリア初期にはチェルシーを離れる目前まで事が進んだ移籍話があったという。自身のInstagramアカウントで行ったライブ配信にて、同氏はこれについて次のように語っている。
「キャリアの中で私にアプローチをしてきたクラブは2つだけ。そのうちの1つはハダーズフィールドだったよ。あの時、彼らの監督はスティーブ・ブルースだったね。チェルシーはそのオファーを受け入れたんだけど、(当時監督を務めていたジャンルか・)ヴィアリだけはノーと言ったんだ。ルカにはとても感謝しているよ。彼は私をデビューさせてくれた監督だしね」
「私はオーナーと向かい合って席に着き、『チェルシーを離れたくない』と言ったよ。それは事実。『あなたが私をどうしても売りたいというのなら話は別。そうまでして残りたくはない。でも、ここを離れたくないんだ』って訴えたんだ。そうして新しい契約にサインすることになった。最後は握手を交わしたよ」
当時の指揮官と自身の説得によって移籍の危機を回避したというテリー氏。以前、同氏はその後の2009年にもマンチェスター・シティから移籍オファーがあったと明かしていたが、これはチェルシー側がクラブレベルの交渉で拒否している。やはり最大の流出危機を迎えたのは、このハダーズフィールド行きが決定しかけた時だったようだ。後の“偉大な主将”を失いかけたチェルシー。2人の主張を聞き入れて正解だったと言えるだろう。
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