[特集/世界神童列伝 03]負傷、不摂生、戦術的不適合…… 期待されつつ消えた“懐かしき”神童たち

世界競技人口が約2億6000万人とも言われるサッカー。その中でプロ選手になることができるのは限られた人たちで、さらに世界にその名を轟かせるトップ・オブ・トップの選手ともなればほんの一握りだ。そして、彼ら天才たちの多くはすでに10代で頭角を現している。

ただ一方で、10代で華々しいデビューを飾ったり、類まれなる才能から“神童”ともてはやされたとしても、その後のキャリアが順風満
帆に進むとは限らない。次世代を担うと期待された神童たちが、わずか数年後には下部リーグやマイナークラブに飛ばされた、いつしか名前を聞かなくなったなんてことも少なくない世界だ。

10代で大きく放った輝きを長きにわたって維持することは、決して簡単なことではない。長いサッカーの歴史の中で、これまでも知らぬ間にフェードアウトしていった神童たちが多くいた。

若き天才たちの問題は戦術的な適応力か

若き天才たちの問題は戦術的な適応力か

「NEXTメッシ」と期待されるも、バルセロナでは長く活躍することができなかったボージャン。ローマやミラン、アヤックスなどを渡り歩き、最後はヴィッセル神戸でプレイした photo/Getty Images

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フェレンツ・プスカシュがキシュペストのトップチームでプレイし始めたのは16歳、ラディスラオ・クバラも16歳の時にTEブダペストでデビューした。ペレは17歳でブラジル代表のW杯初優勝の原動力だった。ディエゴ・マラドーナがアルヘンティノスで初のリーグ出場を果たしたのは15歳、アルゼンチンリーグ最年少記録である。

しかし同じように10代で注目されながら、いつのまにか消えてしまった天才も無数にいる。負傷が原因なこともあれば、心理的なプレッシャーに耐えらなかったケース、チーム戦術に馴染めない、プロ選手として自覚を欠いてコンディションを維持できないなど、理由はさまざまだ。

育成に定評のあるバルセロナは定期的に10代の天才を輩出してきた。ロナウジーニョが大活躍していたころ、シャビ・エルナンデスやアンドレス・イニエスタなどカンテラ出身者がすでにいたが、まだトップチームに入っていない有名選手がいた。地元の記者たちが、「彼がいるから十年は安泰」と言っていたのはリオネル・メッシである。
そのメッシのユース時代の記録を塗り替えたのがボージャン・クルキッチ。16歳でトップチームデビューを果たし、メッシの最年少得点記録も更新。次代のメッシとして期待されていたものだ。ただ、正直そこまでのインパクトはなかったと記憶している。バルセロナの育成出身らしい高い技術を持ち、メッシと違って両足を使えて得点力もあった。ただ、メッシの圧倒的な速さと身体能力はなく、ASローマ、ACミラン、アヤックスと期限付き移籍を繰り返し、優秀な選手ではあるが到底メッシの域には及ばないことがはっきりした。

チアゴはバルセロナ、バイエルン、リヴァプールといった3つのビッグクラブで活躍。一定の結果は残したものの、思うような出場機会を得られなかったり、怪我に泣かされたりするシーズンも多くあった photo/Getty Images

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消えたというには存在感がありすぎるが、チアゴ・アルカンタラも期待の大きさからすればそこまでの活躍ができなかったカンテラーノかもしれない。素晴らしい技巧とセンスの持ち主で、シャビやイニエスタを超えるスーパースターになるはずだった。ジオバニ・ドス・サントス、リキ・プッチも10代でトップデビューしたカンテラーノ。彼らも10代での高い評価どおりの活躍をしたわけではない。

当時のバルセロナはプレイスタイルが突出していて、他のクラブとは一線を画していた。現在でもそれは受け継がれているが、かつてはより独特で特別だった。高い技術とパスワークに特化したスタイルはトップと同じで一貫している。カンテラは当然トップチームに合った人材を育成するわけだが、バルセロナ以外のチームとスタイルが違いすぎていて、移籍した場合にそれが障壁になっていたと考えられる。

10代で天才と騒がれたカンテラーノは確かに素晴らしい技術を有していたが、総じてフィジカル的な強みはなく、バルセロナ以外のプレイスタイルの下では戦術的な能力も発揮しきれないケースが多かったように思える。

戦術的な適応力の問題で才能を発揮しきれないケースはバルセロナに限った話ではない。南米出身とくにブラジル人選手は欧州のプレイスタイルに適合しにくい傾向はあった。

身体能力への依存とチームプレイの欠如

身体能力への依存とチームプレイの欠如

MLSで14歳10カ月という衝撃的なプロデビューを飾ったアドゥ。世界中から注目を集め、ポルトガル、モナコ、ギリシャ、トルコ、ブラジルなど様々な国を渡り歩いたが、海外挑戦はあえなく不発に終わった photo/Getty Images

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ユース年代で圧倒的なプレイぶりだったのに、そこまで大成しなかった選手は数多い。同世代では突出したフィジカル能力を利して大活躍するが、その後が先細りになるのはむしろありがちなパターンともいえる。

14歳でMLSデビューを果たし、「ペレの再来」とも言われたフレディ・アドゥは典型的な10代の神童だった。すでに体が出来上がっていてスピード、バランス、得点能力は10代でMLSトップクラスと評されていた。しかし、その後はしだいにその名を聞かなくなり、欧州クラブなど移籍を繰り返しながら表舞台から消えていった。

ル・アーヴルでデビューしたイブラヒム・バも将来を嘱望された10代の逸材。フランス代表にも一時は名を連ねた。細身ながらスピードが素晴らしく、直線的なドリブルで一気にゴール前まで運んでいく能力は別格だった。しかし、ボルドーからACミランに移籍してからはしだいに輝きを失ってしまった。

例外的なスピード、パワーといった身体能力に恵まれているがために、同世代では個人技だけで試合を決められるスーパーな存在になる。だが、逆にそのためにチームプレイを磨く機会がなく、トップレベルで身体能力の差が小さくなり、熟練のDFにプレイパターンを読まれて通用しなくなると、他のことができないのでポジションを勝ち取れなくなる。

1997年からプレイしたミランでは初年度こそ定位置を確保したが、2年目以降は思うような出場機会を得られなかった I・バ photo/Getty Images

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これも戦術的な適応力の問題ではあるが、全部1人でやってしまおうとする選手は適応力以前にチームプレイに向いていないという根本的な欠陥を抱えているのでより深刻だ。

スーパースターは基本的に個の能力が突出している。ペレ、マラドーナ、メッシは幼少時からほぼプレイスタイルが変わっていない。子供の時分にやっていたのと同じことをプロになってもやっている。普通はどこかの段階で、ドリブルで何人も抜いてゴールするのは無理だと悟ってプレイを変えるが、彼らは壁に突き当たらずにそのまま世界の頂点まで駆け上がった。

しかし、チームプレイができないわけではない。ペレ、マラドーナ、メッシはベテランになってからは個人突破を控えて味方を上手く使っている。圧倒的な個人技のために若い頃にはあまり目立たないが、チームプレイも10代から抜群に上手かったのだ。

負傷によるピークアウト、飲酒問題や不摂生も

負傷によるピークアウト、飲酒問題や不摂生も

高い技術に加えて守備への献身性も備えており、名将ヴェンゲルもその才能に惚れた“ガラスの天才”ウィルシャー。 キャリアの多くを怪我に悩まされ、2022年に30歳の若さで引退した photo/Getty Images

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ブラジルのロナウドは破格の突破力を10代で発揮していた。走り出したら止まらない、何人でかかっても止められなかった。バルセロナ時代にはボビー・ロブソン監督が「戦術はロナウド」と開き直ったくらい強烈な才能だった。

しかし、インテルに移籍した後に膝に重傷を負ってしまう。奇跡的な復活を果たした2002年W杯ではブラジル優勝の立役者となってカムバック。レアル・マドリードでも銀河系のエースとして活躍した。だが、バルセロナとインテルでのロナウドと比較すると、別人とは言わないまでも同じロナウドではない。全盛期は40メートルを疾走していたのが、半分の20メートル以下になっていた。それでも偉大なスターだったのは間違いないが、負傷がなければあんなものではなかったはずだ。

天才選手が大成しない理由のメインはおそらく負傷だ。ロナウドの場合、天性のスピードに体が耐えきれなかったのではないかと思う。負傷していない選手などいないと言えるほどプロ選手にケガはつきものだが、膝や足首を損傷してしまうと、その後のプレイに大きな影響を与えてしまうことがある。

ジャック・ウィルシャーは16歳のときにアーセナルでデビューした。172センチと小柄ながらガッチリした体型で球際に強く、フィールドを縦横に走り回るエネルギーに満ち、左足のテクニックも素晴らしかった。イングランドらしいボックス・トゥ・ボックスのハードワーカーでありテクニシャン。2011年、CL決勝トーナメント1回戦では当時ピークにあったバルセロナをホームの初戦で2-1と下す立役者にもなった。MOMにも選出されている。この時まだ19歳。ところが、このシーズンがキャリアのピークになってしまった。足首の疲労骨折で手術、さらに膝も負傷。復帰後もその全力を出し尽くすプレイスタイルが仇になって負傷を繰り返し、ついにトップフォームを取り戻すことはできなかった。

ミラン時代の2008-09シーズンには、10代ながらセリエAで15ゴールを挙げる大活躍を見せたパト photo/Getty Images

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アレシャンドレ・パトも負傷に悩まされた。インテルナシオナル史上最高の逸材と言われたユース時代を経て、2006年クラブW杯では決勝でバルセロナを下して優勝。17歳のエースはACミランへ移籍した。スピード、ボールコントロール、得点センスに優れ、ミランでも活躍したが筋肉系の負傷が頻発するようになる。2年間で8度も肉離れを起こしていて、早々にピークアウトしてしまった。肉離れを一度も経験していない選手はいないと思うが、癖になってしまうとプレイできない期間が長くなってしまい、キャリア形成に大きな支障が出てしまう。

負傷ではないが、不摂生によってキャリアを台無しにしてしまう選手も少なくない。若くして成功して大金を得たために夜遊びの常習となってキャリアを棒に振ってしまうのは、あまり表には出ないがよくあるパターンである。イングランドの飲酒問題は20世紀の定番になっていて、ジョージ・ベストやポール・ガスコインが有名だが、多くの選手に飲酒と不摂生の問題があった。

ただ、不摂生でもプレイにほとんど影響のないタイプもいたのは事実で、ロマーリオやロナウジーニョがそうだったし、ヨハン・クライフはヘビースモーカーだった。現在では考えられないような生活ぶりのスター選手は珍しくなかったが、さすがに今のサッカーはトップコンディションを求められるので不摂生では長くプレイできないだろう。

不摂生パターンではウスマン・デンベレが危ないところだったが、現在は見違えるように運動量が増えバロンドールの最有力候補になっている。

文/西部 謙司

※電子マガジンtheWORLD307号、7月15日配信の記事より転載

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