[西岡明彦]ハーランドのシティ移籍もまとめ上げた敏腕代理人、逝く

プレミア最強ガイド #89

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イブラヒモビッチなど、数々の有名選手の契約に関わってきたライオラ photo/Getty Images

 今月10日(火)、アーリング・ハーランド(ドルトムント)のマンチェスター・シティへの移籍が決定しました。その一方で、今回の移籍交渉を進展させた敏腕エージェントは、この発表を聞くことなく、この世を去りました。4月30日(土)、ミーノ・ライオラが亡くなりました。54歳でした。ミラノ市内の病院で長期間に渡り治療していましたが、最後は家族が見守る中、静かに息を引き取りました。

 イタリア出身のライオラは家族で営んでいたピザレストランの手伝いから一念発起でエージェントに転身。オランダやチェコなど東欧の選手を顧客に迎えてキャリアをスタートし、1990年代に欧州屈指の人気を誇るイタリア・セリエAへの道標を作ってきました。93年にアヤックスからインテルに移籍したデニス・ベルカンプや、96年にスパルタ・プラハからラツィオに移籍したパベル・ネドベドはライオラの存在を業界内に知らしめる貴重なクライアントでした。

 近年ではイタリア代表GKジャンルイジ・ドンナルンマやフランス代表MFポール・ポグバなど、独特の言動やキャリアプランによってファンやメディアの標的になりがちな選手らとも契約し、選手以上の悪童を演じることで自身のクライアントを守ってきました。もちろん、高額な報酬を得るというメリットも存在しました。昨年、『Forbes』誌はライオラの保有資産は6,200万ポンド前後と試算。特に2016年にポグバをユヴェントスからマンチェスター・ユナイテッドに違約金8,900万ポンドで移籍させた際に受け取った仲介手数料は2,000万ポンドだったと報じています。
 「ミーノは選手たちを守るために粘り強く交渉のテーブルに着くのと同じぐらい、最後まで戦っていた」と家族が声明を発表したように、最期まで選手の契約や家族の将来のことを考えていました。ファミリービジネスはピザレストランから欧州屈指のエージェント会社へと変貌を遂げましたが、近年は従兄弟のヴィンチェンツォを後継者として交渉のノウハウを伝授していたのでした。

 葬儀は5日(木)にライオラが生活拠点にしていたモンテ・カルロのセント・チャールズ教会で行われました。ハーランド、ドンナルンマ、ネドベド、マルコ・ヴェッラッティ(パリ・サンジェルマン)やセスク・ファブレガス(モナコ)らが参列。ミラノの病院で家族と共にミーノの最後を看取ったというズラタン・イブラヒモビッチ(ミラン)の姿もありました。

 選手から絶大な信頼を得ると共に、移籍元、移籍先クラブ双方の経済的なメリットも考慮しながら、タフな交渉の日々を走り続けてきたライオラ。彼の思いを汲んだクライアントたちが今後も活躍してくることを期待しています。

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