W杯は戦えなかったオシムジャパンだが 若手招集の世代交代が南アフリカ大会の躍進もたらす

06年7月から日本代表の指揮を執ったオシム氏 photo/Getty Images

阿部、中村憲、闘莉王らを招集

2006年から日本代表監督を務めたイビチャ・オシム氏が80歳で亡くなった。同氏がかつて監督を務めたオーストリアのシュトルム・グラーツも公式HPで発表している。

オシム氏は2003年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)の監督に就任。2005年にはナビスコカップを制し、クラブに初タイトルをもたらした。

そして2006年7月にドイツワールドカップを終えた日本代表の監督に就任。1分2敗と勝利を挙げることができなかった同大会での閉塞感が漂うなかでのオシム監督就任はチームに新たな風をもたらすこととなる。

“人もボールも動くサッカー”を提唱し、素早いボール回しと判断力を求めた同氏。さらに当時Jリーグで活躍した20代前半の若い選手を積極的に招集し、初陣となったトリニダード・トバゴ戦ではわずか13名の招集で、初招集の選手も多くドイツW杯メンバーは4名のみといったなかで勝利。一気に世代交代を進めて2010年への改革を進めていた。

結果的には2007年途中に脳梗塞による緊急入院となり、日本代表を退任。オシムジャパンとして南アフリカワールドカップを戦うことができなかったが、同氏が代表で戦力として起用した田中マルクス闘莉王や中村憲剛らが南アフリカ大会で活躍している。同大会で2ゴールを挙げた本田圭佑も出場こそなかったものの、日本代表に初めて招集したのはオシム氏だ。

さらにジェフ時代から同氏の愛弟子である阿部勇樹もTwitterにて「オシム監督から学んだ事は、自分の今後の人生で大事な事であり、それをしっかりと伝えていけるように頑張ります。サッカーが好きで好きでたまらない、オシム監督!感謝しております。日本に来てくれてありがとうございます。必ず報告しに行きます。心よりご冥福をお祈りいたします」と投稿。彼も南アフリカW杯でアンカーという大役を務め、大きな貢献を見せた1人だ。

本大会を戦うことはできなかったオシムジャパンだが、多くの才能ある若手選手を招集して経験を積ませ、続く岡田ジャパンへつなげていった。1年あまりと短い期間だったが、オシム氏が日本サッカーへともたらしたものは非常に大きい。

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