代表デビュー当初は手がつけられず
2002年に行われたワールドカップ・日韓大会を制したブラジル代表は、その翌年に行われたコンフェデレーションズ杯2003に比較的若い選手たちを招集した。
当時まだ23歳だったGKジュリオ・セーザルや22歳だったFWルイス・ファビアーノといった面々に加え、2番目に若い21歳でメンバー入りしていたのが皇帝アドリアーノだ。
日韓大会では怪物ロナウドが得点王を獲得したが、アドリアーノはそのロナウドの後継者的存在になれたかもしれない。それほど若い頃のアドリアーノのインパクトは強烈だった。
アドリアーノは2000年には代表デビューしていた超早熟のストライカーだったが、本格的に主力となり始めたのはこの2003年からだ。当時のコンフェデはチームこそ良い結果が出なかったが、アドリアーノは2得点を記録。ここから2年ほどのアドリアーノは手がつけられない状態となった。
2004年のコパ・アメリカでは7得点を記録してチームの優勝に貢献。その勢いは2005年のコンフェデレーションズ杯でも変わらず、アドリアーノは5得点を挙げてチームを優勝へ導いた。準決勝・ドイツ戦、決勝・アルゼンチン戦で2得点ずつ記録する大暴れぶりで、2006年のワールドカップ・ドイツ大会でもブラジルが主役になると考えた人は多かったはず。
2006年の南米予選ではロナウドが最多の10得点を記録したが、アドリアーノも負けじと6得点を記録。まさにロナウドの後継者と呼ぶにふさわしい活躍だった。
2006年のワールドカップ本番前の時点で、アドリアーノの代表成績は32戦23ゴールと驚異的だ。ワールドカップ・ドイツ大会は本領発揮とはいかなかったが、一応は4試合で2得点を挙げている。これもまずまずの結果だろう。
そこからキャリアは下り坂となってしまったが、2006年までのペースを維持できていればブラジル代表の歴代最多得点記録に近づけたかもしれない(最多はペレ氏の77得点)。そう思わせるほどアドリアーノのペースは凄まじかった。
最終的には48戦27得点の成績となっており、ポテンシャルを考えれば物足りない数字だ。サッカー史上最高級FWになることも出来たはずで、その後の2010年の南アフリカ大会でエースとなれなかったのは実に残念だった。