レヴァンドフスキ2世とも言われたピョンテクはなぜミランで失敗したのか 「監督が代わって……」

フィオレンティーナの選手としてセリエAへ戻ってきたピョンテク photo/Getty Images

ミランでは苦い時間を味わった

今冬にヘルタ・ベルリンからフィオレンティーナに移籍したポーランド代表FWクシシュトフ・ピョンテクは、セリエAに良い思い出と苦い思い出の両方があることだろう。

ピョンテクがブレイクを果たしたのは、2018年に加入したジェノアでのことだ。初の欧州5大リーグ挑戦だったピョンテクは一躍有名な存在となり、ポーランド代表選手であることからロベルト・レヴァンドフスキの後継者候補との声も増えた。

しかし、その半年後に移籍したミランでは思うような結果を残せなかった。ジェノアからミランへの移籍は明らかなステップアップだったのだが、ここで躓いてしまった。
2020年にはイタリアを離れてドイツのヘルタ・ベルリンへ向かうことになり、あれから2年。ピョンテクはフィオレンティーナの選手として再びイタリアへ戻ってきた。

ここまでのパフォーマンスは上々と言っていい。シーズン途中の加入だったが、リーグ戦では3得点、コッパ・イタリアの方でも3得点を記録。今冬にはスイスのバーゼルからブラジル人FWアルトゥール・カブラルもやってきたためにポジション争いに巻き込まれているものの、それでも悪くないフィレンツェでのスタートと言える。

伊『Calciomercato』によると、ピョンテクは当時ミランで上手くいかなかったことについて次のように振り返っている。

「最初の7カ月はすべてが上手くいっていた。ガットゥーゾの下で多くの得点を決めていたけど、そこからジャンパオロに監督が代わってからはフォーメーションもアイディアも変わった。僕はストライカーとしてカスティジェホと組むことになり、背後にはトレクアルティスタとしてスソがいた。2人とも本職じゃなかったんだ。僕もトップ下と2トップの組み合わせは初めてだったから、適応に時間が必要だった。僕たちには時間が必要だったと思う。2カ月は短かったよ」

ミランでの時間はほろ苦いものとなってしまったが、フィオレンティーナで活躍できれば評価は変わる。ジェノアでのパフォーマンスが偶然ではなかったと示すためにも、ここからシーズン終了までもう一段ギアを上げたいところだ。

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