決勝トーナメントではスペイン、ドイツといった列強国が敗退するなか、ハジ、ラドチョウ、ポペスクなどを擁するルーマニア、ストイチコフ、レチコフ、バラコフなどを擁するブルガリアといった東欧勢が大会を盛り上げました。ラーション、ケネット・アンデションが前線にいたスウェーデンも4強入りするなど、勝敗が読めない試合が続きました。
そうしたなか、決勝に進出したのはブラジルとイタリアでした。多少の苦戦はあったものの実力どおりに勝ち上がったブラジルに対して、イタリアは傷だらけの勝ち上がりでした。というのも、アイルランドとの初戦に0-1で敗戦し、続くノルウェー戦では前半途中にGKパリュウカが退場し、後半にはバレージも負傷交代する緊急事態に。控えGKを投入するためにロベルト・バッジョを交代しており、早くも絶体絶命でした。しかし、ディノ・バッジョが決勝点を奪い、なんとか勝点3を獲得しました。
グループリーグを3位で突破したイタリアでしたが、決勝トーナメントでも苦戦が続きました。ラウンド16のナイジェリア戦ではゾラが退場し、またも数的不利な戦いを強いられました。さらには、スペインとの準々決勝ではタソッティが主審の目をかいくぐってルイス・エンリケに肘打ちし、試合後にFIFAから8試合出場停止を言い渡されました。決勝に進出したものの、イタリアはもはや疲労困憊していました。
灼熱のなか開催されてきた大会の締めくくりに相応しく、ロサンゼルス郊外のパサデナ(ローズボウル)で行なわれた決勝も、真夏の太陽が降り注ぐなかキックオフされました。試合はブラジルがボールをキープし、バレージが戻ってきたイタリアが粘り強く守るという展開でずっと進みました。
私自身はドゥンガがキャプテンを務め、憧れていたジョルジーニョがいて、ジーニョ、ブランコ、マウロ・シウバ、アウダイール、ベベート、ロマーリオなどがいるブラジルを大会前から推していました。若いレオナルドもいたし、出場はなかったものの17歳のロナウドもベンチ入りしていました。ミューレル、ロナウダン、ジウマールといった大会後にJリーグでプレイした選手たちもいて、非常にバランスが取れていました。ジョルジーニョが前半で負傷退場してしまったのは残念でしたが、PK戦を制して優勝を決めたときは、正直うれしかったです。
一方で、最後のキッカーとして登場し、ゴールバーの上にPKを外したロベルト・バッジョの姿が、1986年メキシコ大会のやはりブラジル戦でPKを外したプラティニ(フランス)に重なりました。「同じ外し方だ。この場面で外すのか……」と思ったのを覚えています。
この幕切れもそうですが、アメリカ大会は本当にいろいろなことがありました。結果として「自分もW杯に出たい」と感じることができた大会で、一つ一つのシーンが心に強く残っています。とはいえ、まさか4年後の初戦でバティストゥータやシメオネがいるアルゼンチンと対戦することになるとは、当時の私は夢にも思っていませんでした。
※電子マガジンtheWORLD246号、6月15日配信の記事より転載
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