[名良橋晃]強烈な印象が残った’94年アメリカW杯

疑惑に繋がったマラドーナの咆哮

疑惑に繋がったマラドーナの咆哮

ナイジェリア戦後にドーピング担当のお姉さんに連行されるマラドーナ photo/Getty Images

 過去のW杯に思いを馳せたとき、いろいろな記憶が甦ってきます。少年時代にみた大会、現役時代に日本代表として出場した大会、引退後に現地で取材した大会もあります。どれも思い出深いですが、なかでも1994年アメリカ大会には強烈な印象が残っています。

 まずは、各地域予選から振り返らないといけないです。当時、日本サッカー界はJリーグ開幕、2002年W杯招致などで盛り上がっていました。そうしたなか、初出場を目指してアジア最終予選に臨みましたが、“ドーハの悲劇”によって跳ね返されました。

 最終戦の残り数分で運命が変わったのは、日本だけではありません。欧州ではフランスがホームにブルガリアを迎え、あと数分を守り抜けば本大会出場でした。ところが、90分になってコスタディノフに決勝点を許し、1-2で敗れて日本と同じように出場を逃しました。

 大会前からドラマがあるなか、当時まだサッカー不毛の地だったアメリカで灼熱の日中に開催される。開催都市によってはドーム球場があるなど、スタジアムの雰囲気やサポーターの反応なども未知数でした。予測不可能で、新鮮さがある。それが、大会前の印象でした。

 いざ開幕すると、グループステージから話題が尽きませんでした。アルゼンチン×ギリシャでのマラドーナのTVカメラに向かっての咆哮シーン。続くナイジェリア戦では、試合後に担当のお姉さんと手を繋いで笑顔でピッチからドーピング検査に向かうシーンが中継されました。その数日後、マラドーナは禁止薬物の使用で大会を去りました……。

 アジアから出場した2か国、サウジと韓国の戦いぶりも記憶に残っています。サウジ×ベルギーでオワイランがみせたドリブルシュートには度肝を抜かれたし、スペイン、ボリビアと引分け、ドイツと2-3の接戦を演じた韓国にも驚きました。驚いたというより、バルセロナ五輪予選で対戦したソ・ジョンウォンが活躍していたことで、複雑な気持ちになりました。悔しいとか羨ましいとかではなく、とにかく複雑な感じでした。

 ロシア×カメルーンではサレンコの5得点もあり、6-1でロシアが快勝しました。サレンコは合計6得点となり、グループリーグ3試合出場でブルガリアのストイチコフとともに大会得点王に輝きました。W杯でグループリーグ敗退チームから得点王が生まれたのは後にも先にもサレンコひとりで、非常に珍しいケースになりました。

 アメリカ×コロンビアでは優勝候補だったコロンビアが攻めあぐね、ついにはエスコバルがオウンゴールを献上して惜敗しました。チームもグループリーグ敗退となったことで、エスコバルを非難する人々が一部出現し、帰国後に射殺されるというショッキングな事件がありました。スポーツの世界で、決して起こってはならない悲劇でした。

傷だらけだったイタリア、順調に勝ち進んだブラジル

傷だらけだったイタリア、順調に勝ち進んだブラジル

R・バッジョがPKを外し、勝敗が決した photo/Getty Images

 決勝トーナメントではスペイン、ドイツといった列強国が敗退するなか、ハジ、ラドチョウ、ポペスクなどを擁するルーマニア、ストイチコフ、レチコフ、バラコフなどを擁するブルガリアといった東欧勢が大会を盛り上げました。ラーション、ケネット・アンデションが前線にいたスウェーデンも4強入りするなど、勝敗が読めない試合が続きました。

 そうしたなか、決勝に進出したのはブラジルとイタリアでした。多少の苦戦はあったものの実力どおりに勝ち上がったブラジルに対して、イタリアは傷だらけの勝ち上がりでした。というのも、アイルランドとの初戦に0-1で敗戦し、続くノルウェー戦では前半途中にGKパリュウカが退場し、後半にはバレージも負傷交代する緊急事態に。控えGKを投入するためにロベルト・バッジョを交代しており、早くも絶体絶命でした。しかし、ディノ・バッジョが決勝点を奪い、なんとか勝点3を獲得しました。

 グループリーグを3位で突破したイタリアでしたが、決勝トーナメントでも苦戦が続きました。ラウンド16のナイジェリア戦ではゾラが退場し、またも数的不利な戦いを強いられました。さらには、スペインとの準々決勝ではタソッティが主審の目をかいくぐってルイス・エンリケに肘打ちし、試合後にFIFAから8試合出場停止を言い渡されました。決勝に進出したものの、イタリアはもはや疲労困憊していました。

 灼熱のなか開催されてきた大会の締めくくりに相応しく、ロサンゼルス郊外のパサデナ(ローズボウル)で行なわれた決勝も、真夏の太陽が降り注ぐなかキックオフされました。試合はブラジルがボールをキープし、バレージが戻ってきたイタリアが粘り強く守るという展開でずっと進みました。

 私自身はドゥンガがキャプテンを務め、憧れていたジョルジーニョがいて、ジーニョ、ブランコ、マウロ・シウバ、アウダイール、ベベート、ロマーリオなどがいるブラジルを大会前から推していました。若いレオナルドもいたし、出場はなかったものの17歳のロナウドもベンチ入りしていました。ミューレル、ロナウダン、ジウマールといった大会後にJリーグでプレイした選手たちもいて、非常にバランスが取れていました。ジョルジーニョが前半で負傷退場してしまったのは残念でしたが、PK戦を制して優勝を決めたときは、正直うれしかったです。

 一方で、最後のキッカーとして登場し、ゴールバーの上にPKを外したロベルト・バッジョの姿が、1986年メキシコ大会のやはりブラジル戦でPKを外したプラティニ(フランス)に重なりました。「同じ外し方だ。この場面で外すのか……」と思ったのを覚えています。

 この幕切れもそうですが、アメリカ大会は本当にいろいろなことがありました。結果として「自分もW杯に出たい」と感じることができた大会で、一つ一つのシーンが心に強く残っています。とはいえ、まさか4年後の初戦でバティストゥータやシメオネがいるアルゼンチンと対戦することになるとは、当時の私は夢にも思っていませんでした。



※電子マガジンtheWORLD246号、6月15日配信の記事より転載

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