マンUにはなかった“自由” 7番を任されたデパイがリヨン選んだ4つの条件とは

マンUでプレイしていたデパイ photo/Getty Images

移籍先に求めた条件

近年マンチェスター・ユナイテッドの7番を背負った者たちには失敗が続いているが、2015年にオランダのPSVからマンUへ加わったFWメンフィス・デパイもその1人だ。

デパイはルイ・ファン・ハール、ジョゼ・モウリーニョの下でポジションを掴めず、2017年よりフランスのリヨンへ移籍。デパイのマンチェスターでの生活はあっさりと終わりを告げたのだ。

そのデパイには、リヨンへ移籍するうえで大事なことが4つあったという。
英『Manchester Evening News』によると、その4つとは自由なスタイルでのプレイ、指揮官の求めるスタイルがクリアなこと、チームで自身が重要な存在であること、欧州トップリーグであることの4つ。

このうちマンUが満たしていたのは、最後の欧州トップリーグという部分だけだ。ファン・ハール、モウリーニョの下で混乱気味だったマンUには、明確なスタイルと呼べるものがなかった。そこもデパイが不満に感じていたポイントだったのだろう。

そしてこの条件について、デパイはサッカーデータ分析を行うオランダの企業『SciSports』のCIOを務めるギエルス・ブローウェル氏と接触。デパイが希望する条件に合うクラブがあるか話し合いの場が持たれたというのだ。

当時のことについてブローウェル氏は次のように語っている。

「メンフィスは移籍に際して、我々のデータによるアドバイスを求めた。彼の希望は自由なプレイ、チームで重要な存在であること、欧州五大リーグでのプレイ、そして指揮官のスタイルが明確なことだった」

「その希望から我々はデータを探した。彼のPSV、オランダ代表でのプレイをチェックし、ユナイテッドとのスタイルと比較したんだ。すると、彼がユナイテッドでより守備的なアクションをしていることが分かった」

「我々は左ウイングとセンターフォワードにスタープレイヤーを抱えていないこと、プレイスタイルの一貫性、パスやトランジションのスピード、サイドの使い方から最終ラインの高さといった点から調査した。最終的にはメンフィスのスタイルに合うクラブを5つリストアップし、そのうちの1つがリヨンだったんだ」

デパイはお金よりもプレイスタイルや自身の成長にこだわっていたようで、マンUを離れることに迷いはなかったのだろう。結果的にリヨンではフォームを取り戻すことになり、移籍は正解だったと言える。

こうしたデータから慎重に移籍先を選んでいくやり方も、今後のサッカー界ではもっと主流なものとなっていくかもしれない。

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