右サイドのタッチライン際を凄まじい勢いでアップダウンし、精度の高いクロスでゴールに結びつける。前への推進力があり、得点にも絡む。室屋成のプレイスタイルは見ていて清々しく、動きに迷いがない。驚異的なスタミナも魅力で、終了間際になってもなお長い距離を走って攻撃参加する。積極的に1対1を仕掛けるそのプレイスタイルは、いかにして誕生したのだろうか。その過程には、どんな紆余曲折があったのか─。J1最終節を控えた11月末、FC東京の練習場に赴き、室屋に話を聞いた。
─今季を振り返るとJリーグでは上位争いをするなか試合出場を続けて、ロシアW杯後には日本代表にも選出されました。手応えのあるシーズンだったのではないですか?
室屋 開幕当初はチームがあまり勝てず、自分自身もサイドバックとして全体のバランスや守備を意識してプレイしていました。結果として、試合に出られない時期(第4節、第5節)がありました。そのときに、だったら自分の特長を出したほうがいいと気持ちを切り替え、そこからはやりたいプレイをするようになり、試合にもまた出られるようになりました。同時にチームも勢いに乗り、すごく成長できているなと感じられるようになっていきました。やっと自分がやりたいプレイを表現できて、チームも勝つという、楽しいと思える時期を過ごせた1年でした。
─気持ちを切り替えるにあたっては、どなたかの助言があったのでしょうか? ご自身で解決されたのですか?
室屋 自分で解決しました。大学生のときから攻撃的なプレイが好きだったのですが、プロのサッカーはポゼッション重視で、ミスをしないフットボールが多いです。そのスタイルに適応しようとして、前に行きたいけどバランスを考えると行けないという感覚になっていました。そんな状態で2年間ぐらいやっていて、いまひとつ特長を出せていないなと思っていて、試合にも出られなくなった。だったら、自分がやりたいプレイをして出られないほうが納得いく。そう思って気持ちを切り替えました。
─プレイを見ていると前方への推進力をものすごく感じますが、現在のスタイルはどう確立されていったのでしょうか?
室屋 高校生のときはそこまで一人でぐいぐい仕掛けるタイプではありませんでした。得意ではあったのですが、まわりを使いながらオーバーラップし、クロスをあげるというもう少しサイドバックっぽい感じでした。変わったのは大学生のときです。明治大は人に強くなるための練習が多く、1対1ばかりやっていました。長友佑都選手を見ればわかってもらえると思いますが、ああいうスタイルの選手が評価されるチームなんです。大学に行ったことで変わりましたね。
─明治大を選択したのは、そういう指導を受けてみたいと考えたからですか?
室屋 進学するうえで、いろいろな大学を見学し、話も聞きました。最後はほぼ直感でしたが、明治大はみんながすごく走るし、戦うというイメージがありました。練習にも参加し、自分に合うかもと思って決めました。
─そもそも、なぜ進学を?
室屋 兄が大学に通っているのをみて、サッカーをやりつついろんな世界を知ることができるのなら、進学するのがいいかなと思いました。サッカーを知らない人にも出会えるし、なにより兄が楽しそうでした。大学に行ってからプロになる道もあったので、それでも遅くはないなと思って進学しました。
ロシアW杯を終えて、日本代表は森保一監督のもと新たなスタートを切った。Jリーグを制覇した経験があり、コーチとしてW杯も経験した森保一監督は、日本人の特長を生かしたサッカーをするべくチーム作りを進めている。チーム全体が積極的に前へ仕掛けることを意識し、さらには一人一人が球際に強くいくというスタイルは、そのまま室屋成のプレイスタイルと一致している。実際、ロシアW杯後に日本代表は5試合を行なっているが、3試合に先発出場している。そして、しっかりと存在をアピールしたことでアジアカップを戦うメンバーにも選ばれている。