“トッティ2世”となるはずだった男 マンU移籍で狂った天才肌MFのキャリア

2014年までマンUに在籍したペトルッチ photo/Getty Images

ローマに残っていればどうなった

かつてはASローマの下部組織で、“フランチェスコ・トッティ2世”と期待されていた男を覚えているだろうか。その男とは、今では29歳となったMFダビデ・ペトルッチだ。攻撃的MFを主戦場とする地元出身プレイヤーとあって、ローマに大きな期待をかけられていた同選手。しかし、この“トッティ2世”がその後サッカー界に名を馳せることはなかった。

そんな彼の大きな転機となったのが、2008年に起きたマンチェスター・ユナイテッドへの電撃移籍だ。前述したように当時はローマ下部組織で“トッティ2世”とも期待されていたペトルッチだが、この男はよりビッグなチャレンジを求めてイングランドの名門へとステップアップ。その際にジャッロロッシとはかなり揉めたようだが、当時のイタリアにおいてはクラブが18歳以下の選手とプロ契約を結ぶことはできなかった。それを盾に、ペトルッチは半ば強引にマンU行きを決断。ローマとは喧嘩別れのような形で決別することとなってしまった。

しかし、それほどの決意を胸に向かったマンUだが、ペトルッチは2014年までの在籍でトップチームにおける出場は叶わず。レンタル移籍を繰り返してマンUを退団したのちは、ベルギーやトルコのクラブを経て昨季はセリエCのコゼンツァでプレイした。そして、現在はフリー。行き先はいまだに決まっていない状態だ。
ローマでその将来を嘱望されながらも、“トッティ2世”としての道を投げ打ってマンUへと向かったペトルッチ。ジャッロロッシに止まっていれば、少なくともトップチームでの出場くらいは保証されたはずだが、彼はなぜイングランド行きを決断したのか。本人は次のように振り返っている。

「当時、ASローマでプレイしていたことに不満はなかったんだ。僕はクラブを愛していて、クラブも僕のことを愛してくれていた。どこにも行く気にはなれなかったね。でも、そんな時にユナイテッドからのオファーがあった。どこにも行く気がないといっても、ユナイテッドへ行けるチャンスというのはそうそうない。彼らはCLで優勝し、クラブW杯にも出場していたからね。当時における最大のクラブから誘われたとあっては、僕にそのオファーを断ることはできなかったんだ。同じ時期にラツィオから親友のフェデリコ・マケダが移籍したことも大きかったよ」(英『Daily Maill』より)

ローマでの時間に不満はなかったが、当時世界最高のクラブに誘われたことで心を動かされてしまったとペトルッチ。気持ちは理解できるが、将来のことを考えればローマで地盤を固めてからオファーを待つ方が賢明だったか。移籍の決断というのは誰にとっても難しいものだが、若い頃はそれをより慎重に考えなければならないだろう。

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