[名良橋晃]Jリーグ&日本代表 記憶に残る一戦を振り返る

衝撃だったブラジル代表戦 ロベカルに度肝を抜かれた

衝撃だったブラジル代表戦 ロベカルに度肝を抜かれた

ロベカルのスピード&パワーは、ずば抜けていた photo/Getty Images

 現役時代を振り返ると、Jリーグはもちろん、日本代表としても数々の試合を戦ってきました。いろいろな思い出がありますが、なかでも印象に残っている一戦について、今回はお伝えしたいと思います。

 まずは、日本代表で記憶に残っている一戦から。アンブロカップのブラジル戦(1995年6月6日/イングランド)です。エヴァートンの本拠地グディソン・パークが会場で、雨でスリッピーなピッチコンディションのなか、はじめてブラジル代表と対戦しました。結果は0-3の敗戦でしたが、実際には点差以上の実力差を痛感させられました。

 ブラジル代表にはレオナルド、ジーニョといったJリーグでもお馴染みの選手たちがいましたが、カナリア色のユニフォームを着た彼らは雰囲気がぜんぜん違いました。ピッチがスリッピーな状態にも関わらず、ボールを止める、蹴るが正確で、ミスがない。ドリブルもスムーズで、難なくプレイしている。決して、難しいことをしていたわけではない。基本的な技術力が高く、大きな差を感じました。
 とくに、対峙するポジションにいたロベルト・カルロスのスピード、パワーには度肝を抜かれました。当時22歳だったロベカルはまだパルメイラスでプレイしていましたが、存在は知っていました。2日前に行われたブラジル×スウェーデンを視察し、動きもチェックしていました。それこそ、穴があくぐらい徹底的にみたので、固定式のスパイクを履いていることまで把握していました。

 迎えた当日は悪コンディションだったので、今日は取替え式だろうと思って確認したら、変わらずに固定式だった! それでいて、いつもどおりプレイしている。もう、ロベカルへの対応でいっぱいいっぱいで、押し込まれていた印象しかありません。なにしろ、同サイドにはジーニョもいました。正直、試合前は多少できるだろうという自信を持っていましたが、木っ端みじんに砕かれました。まだまだやらなければいけないことがたくさんあると、気づかされた一戦でした。

 とくに忘れられないのが、前半にあったプレイです。私の背後にルーズボールがきたときに、Jリーグではスピードで負けたことがほとんどなかったので、追い付くと判断して飛び込みました。瞬間、ロベカルが矢のように過ぎ去り、かわされました。それでも、足元にいこうとしたら、今度はヒールパスでいなされ……。完全に遊ばれました。

 悔しいとか屈辱ではなく、単純に「すごいな」と思いました。このレベルに追い付きたい、張り合えるようになりたいと思いました。忘れないために、試合後にロベカルとユニフォーム交換しました。このときのユニフォームは、もちろんいまも大切に持っています。

柏戦の終了間際に魅せたダブルタッチから決勝点

柏戦の終了間際に魅せたダブルタッチから決勝点

柏戦でゴールを決め、歓喜する。Jではこの一戦がもっとも印象深い photo/Getty Images

 Jリーグでは鹿島アントラーズ時代の試合で、2001年2ndステージ第10節の柏レイソル戦が印象に残っています。1stステージはジュビロ磐田が2位に勝点9差をつけ、独走優勝していました。2ndステージはその磐田と激しい首位争いを演じる展開になり、第9節を終えた時点でお互いに勝点22でした。

 負けられない状況のなか、試合は0-0で進みました。立ち上がりから鹿島のエースストライカーだったヤナギ(柳沢敦)と、柏のCB薩川(了洋)選手が激しくやり合っていたのを覚えています。そして、後半になってヤナギが一発退場となり(56分)、数的不利な状況になりました。

 磐田との首位争いを考えると、どうしても勝点3が必要でした(当時は90分勝ち=勝点3、延長勝ち=勝点2、引分け=勝点1)。そのため、守りに徹することなく、全員がよく足を動かして戦い、一進一退の攻防に持ち込んでいました。それでも、どうしても1点が取れない。どんどん時間が過ぎていき、試合は0-0でしたが、優勝争いという面では追い詰められていました。 もう、本当に終了間際だったと思います。中盤でミツオ(小笠原満男)くんがボールをキープして時間を作り出したときに、失点のリスクを承知で攻撃参加しなきゃダメだと考え、思い切ってあがりました。そこへ、ミツオくんから正確なパスがきました。

 ボールを受けると、角度のないところから中央へ切れ込みました。このとき、マークにきたのは明神(智和)選手でした。なぜか、それはよく覚えています。そして、咄嗟の判断でダブルタッチを繰り出して明神選手をかわし、右足アウトサイドでゴールを狙いました。すると、コロコロと転がって逆サイドに入り、これが決勝点となりました。

 劇的な勝利であり、その後の戦いにつながった勝点3でした。自分のゴールで勢いに乗り、結局2ndステージを制し、チャンピオンシップでも磐田を下して優勝することができました。追い込まれていたなか、人生で1度か2度しかやったことがないダブルタッチを決めてゴールを奪った。そして、優勝につながった。これだけでも十分ですが、会場が柏の葉だったことも印象を強くしています。あのころはJリーグを開催していましたが、いまは使用していません。いろいろとレアなケースが重なっていると思います。

 他にも、2000年Jリーグチャンピオンシップの磐田との第2戦(国立競技場)で決めたゴールや、日本代表では1997年フランスW杯アジア最終予選の韓国戦(国立競技場)が記憶に残っています。こうして振り返ってみると、対戦相手にも個性的な選手が多く、充実していたなと感じます。いまは世界中が大変な状況ですが、またサッカーが日常となり、それぞれに思い出が残る一試合が生まれる日がくることを願っています。

構成/飯塚 健司

電子マガジンtheWORLD244号、4月15日配信の記事より転載

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