[若きサムライ インタビュー#4]MF喜田拓也 「自分の役割に面白さを感じている」

険しい道のりを乗り越え 小6で全国制覇を達成

険しい道のりを乗り越え 小6で全国制覇を達成

今季は26試合に出場し、中盤でプレイした喜田(写真左) photo/Getty Images

──2人のお兄さんの影響でサッカーをはじめたそうですね?

喜田 長男と5歳、次男と3歳離れていて、幼稚園のときから兄の友だちにまざってボールを蹴っていました。小学校入学と同時に学校にあったサッカークラブ(北方SC)に入り、本格的にはじめました。ただ、練習が週に一度、土曜日しかなかったんです。

──同じころ、横浜F・マリノスのスクールに通いはじめていますね?

喜田 北方SCの練習以外にも、空いてる日は遊びでサッカーをやっていました。放課後になるといったん家に帰り、また学校に行って兄たちとボールを蹴っていました。その姿を見ていた母が、マリノスのスクールの話を持ってきてくれました。

──当時からボランチだったのでしょうか?

喜田 北方SCのころも、スクールのときもFWをやっていました。小3のときにマリノスのプライマリーに加入して、4年生ぐらいまでずっとFWでした。その後、中盤の攻撃的なポジションやボランチでプレイし、高学年になるとCBをやっていました。だんだんポジションが下がっていきましたね(笑)。いまはあんまりですが、FWのころはけっこうゴールを決めていました。点取り屋でしたよ(笑)。

──北方SC、スクール、プライマリーと環境が変わるなか、喜田少年はどんな意識でサッカーに取り組んでいたのでしょうか?

喜田 最初は小学校のチームだったので、サッカーが好きならOKでした。プライマリーはセレクションを受けて合格した選手が集まっているので、やっぱりレベルが高かったです。3年生と4年生で1チーム、5年生と6年生で1チームという編成だったのですが、3年生のときは試合に出られず、はじめて悔しい思いをしました。まわりにライバルがいて、競争がありました。自分が成長しないと試合に出られないので、「うまくなりたい」というどん欲な気持ちでサッカーに取り組んでいました。

──そのころのプライマリーは全国少年サッカー大会を3連覇していますね。

喜田 ボクが6年生のときが3連覇目でした。他チームに「打倒・マリノス」というムードがあり、優勝まで険しい道のりでした。少なからずプレッシャーがありましたが、監督の河合学さんがうまくコントロールしてくれました。キャプテンを任せてもらっていたのですが、自分たちでやらなければいけないことは自由にやらせてくれて、どうにもならないときに手助けをしてくれました。責任感が生まれると同時に、みんなで助け合ってひとつの目標に向かわなければいけないということを学ぶことができました。小学生でこうした経験ができたのはすごく良かったです。間違いなく、いまにつながっています。

良き指導者に恵まれ 順調に成長を遂げる

良き指導者に恵まれ 順調に成長を遂げる

2011年のU-17W杯での喜田 photo/Getty Images

──マリノスジュニアユースではどんな意識でプレイしていたのでしょうか?

喜田 監督の尾上純一さんがボクに合うのはボランチだと判断して、いよいよポジションが固定されました。そうなると、ボランチを極める難しさが出てきました。一方で、課題を克服することでサッカーの知識が深まっていきました。純粋にサッカーを楽しんでいた段階から、自分の役割など、いろいろなことを考えながらプレイするようになりました。

──どのような難しさが出てきましたか?

喜田 ボランチは攻守両面で効果的に関わらないといけないので、そういう面で難しさがありました。攻撃と守備のバランスをうまく取らないといけない。ただ、難しいぶん、面白さを感じていたのでやりがいもありました。尾上さんが問題を解決するためのヒントを与えてくれて、成長をうながしてくれました。ジュニアユースではサッカーの引き出しが増えて、人間的にも成長できたと思います。

──その辺り、もう少し詳しくお願いします。

喜田 この年代の多くのチームがそうだと思いますが、文武両道を掲げていて、挨拶や礼儀にすごく厳しかったです。中学生は道を踏み外しやすい年代ですが、尾上さんをはじめ指導者の方々が正面から向き合ってくれて、必要なときは怒ってくれました。常に真剣に接してくれるので受け入れることができました。言っていることも正しく、尾上さんはみんなに尊敬されていました。その影響もあり、将来は尊敬される人になりたいと思っています。

──ユースではどんなことを考えてプレイしていたのですか?

喜田 ジュニアユースではプレイの幅を広げることを考えていましたが、ユースではちょっとずつできてきて、今度は自分の良いところを伸ばそうと思いました。ボールを奪う能力や球際で戦えるところ。前方への飛び出し、運動量などがセールスポイントなので、そういう部分を出すことを意識していました。

──高校2年生のときにU-17W杯を経験していますが、どんな影響を受けましたか?

喜田 ボクは代表運がないと言うか、呼んでもらうたびに練習でケガをしたり、病気になったりしていました。本大会直前のスロバキア遠征でおたふく風邪になったときは心が折れそうになりました。コーチングスタッフから信頼がなかったと思います。それでも、U-17W杯を戦うメンバーに選んでくれました。だからこそ、期待に応えたかった。「日本のために」「このチームのために」という強い気持ちがありました。あのチームは94年生まれの選手を中心に結成されていて、「94ジャパン」と呼ばれていました。吉武博文監督のもと、「94ジャパン」のみんながチームを大事にしていて、一体感、団結力がありました。

──結果はベスト8という好成績でした。

喜田 前評判は決して高くありませんでしたが、みんなで力を合わせれば覆すことができるとわかりました。決勝進出を目標にしていたのでベスト8で負けてしまったのは悔しかったですが、あの大会を通じてチーム一丸となって戦う大事さを学ぶことができました。

──吉武監督について、どのような印象が残っていますか?

喜田 かなり具体的な戦術を持っていて、ポジショニングひとつにしても細かかったです。こういう視点でサッカーを見ている方もいるんだなと思って面白かったです。かなり刺激になりました。また、ケガや病気ばかりだったのに、最後にボクを信じて選んでくれました。本当に感謝しているし、いまでも期待に応えたいという気持ちがあります。あのときの選択は正しかったのだと、いまのボクが証明しないといけないと思っています。

──良い指導者の方々に出会ってきているのですね。

喜田 ユースでは松橋力蔵さんに指導していただきました。中学、高校の大事な時期に尾上さん、松橋さん、吉武さんのような素晴らしい方々に出会えたのは大きかったです。みなさんいろいろなサッカー観を持っていて、要求されることがそれぞれ違います。そういうことを肌で感じることができました。小学生時代の河合さんをはじめ、ボクは指導者に恵まれてきました。より上のレベルで活躍することで、少しでも恩返しできればなと思っています。

プロ1年目に挫折するも 確実に存在感が増している

プロ1年目に挫折するも 確実に存在感が増している

21歳の若武者は更なる飛躍を誓う photo/Getty Images

──U-17W杯を経験し、ユースからトップに昇格しました。順調にステップアップしていましたが、プロ入り1年目は公式戦出場がありませんでしたね?

喜田 悔しかったし、言葉では言い表せない感情がありました。それまではわりと試合に出られていたのが、1年間まったく公式戦に出られませんでした。なぜだと葛藤しましたが、ムダではありませんでした。自分を見つめ直すために必要な時間だったんです。実際に課題は多く、たとえばプロのスピードに慣れないといけなかった。練習で特徴すら出せないときがあって、「どうしたらいいんだ」ともがいていた時期もありました。でも、いい意味で時間が解決してくれました。すべてが最初からうまくいくはずがなかったんです。

──心が折れそうになったこともありましたか?

喜田 逆に、なにくそという気持ちが強かったです。腐ることなく、練習から少しでも持ち味を出そうと思って必死に取り組んでいました。筋トレなどひとつひとつのことにコツコツと打ち込むことで、少しずつ成長しているなという実感もありました。苦しいときになにができるかで、その後の選手人生が変わってきます。あのときの悔しい気持ちを忘れてしまったら、きっとボク本来のプレイができなくなってしまう。だからこそ、いつまでも1年目の悔しさを忘れないようにしたいです。

──3年目を迎えた今季は、確実に出場数が増えていますね?

喜田 積み重ねてきたことが、徐々にカタチになりつつあります。ただ、自分のポジションがあると思って
しまったらダメです。いまは常に危機感を持ってプレイできているのが良いのかもしれません。もちろん、満足はしていません。もっと試合に出たいし、選手としてもっと成長したいと思っています。

──喜田選手のプレイを見ると、ポジショニングの良さを感じます。

喜田 攻撃のときも、常にリスク管理することを要求されているし、それをできるのがボクの良いところだと思っています。決して目立ちませんが、サッカーではそういう仕事も大事です。ファンを魅了する一目でわかりやすいプレイをする選手ではありませんが、この役割に面白さを感じています。チームのために献身的にプレイするところをみなさんに見ていただきたいです。泥臭いプレイ、身体を張ったプレイでみなさんを魅了し、感動を与えられればなと思っています。

──来年開催されるリオ五輪は、自身のなかでどんな位置づけになっていますか?

喜田 絶対に出場したいです。世界トップレベルの選手たちと真剣勝負ができる場は、なかなかありません。日本のサッカーをアピールする絶好の機会だし、ボクの名前を世界に売るチャンスでもあります。そのためには、来年1月のアジア予選を突破しないといけません。いまは各選手が所属クラブで自分を高めることに努めています。みんな良いライバルであり、良い仲間です。いざチームとして集まったときにどれだけ一体感、団結力を持って戦えるかが問題なので、そういったことを意識して日々の練習に取り組んでいます。

──将来的にはどんなサッカー選手になりたいと考えていますか?

喜田 とにかく、“必要”とされる選手になりたいです。監督、チームメイトからはもちろん、見ているファン・サポーターからも必要だと思ってもらえる選手になりたい。「やっぱり喜田がいないとダメだ」。そんな存在になれれば最高です。
 
選手名:喜田拓也(Takuya Kida)

所属クラブ:横浜・F・マリノス

1994年8月23日生まれ。神奈川県出身。168㎝/58㎏。北方SC→横浜F・マリノスプライマリー→横浜F・マリノスジュニアユース→横浜F・マリノスユース→横浜F・マリノス。献身的な守備でボールを奪い、正確なパスでゴールチャンスを生み出すボランチ。
インタビュー・文/飯塚 健司
photo/Getty Images
theWORLD168号 11月23日配信の記事より転載

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