元ニューカッスル・ユナイテッドFWで、ウェールズ代表としても活躍したウィン・デイヴィス氏が83歳で死去した。遺族が発表し、『The Sun』など複数メディアが報じている。
「空を飛ぶフットボーラー」との異名を持つ同氏は、屈指の打点を誇るヘディングの名手として知られ、“Wyn the Leap(跳躍のウィン)”“The Mighty Wyn(偉大なるウィン)”といった異名でも愛された。代表通算34試合出場6得点を記録し、その雄姿は今なお語り継がれている。
キャリアの出発点は地元クラブのロコモティブ・ランベリスとカーナーヴォン・タウンで、当時はスレート採石場で働きながらボールを蹴っていた。後にレクサムを経てボルトンへ移籍し、ニューカッスルには当時のクラブ最高額となる8万ポンドで加入。1966年から1971年までの5シーズンでリーグ戦181試合に出場し、1969年には、後のUEFAカップにあたるインターシティーズ・フェアーズカップ優勝を果たした。
この快挙は、ニューカッスルにとって2024年のEFLカップ優勝まで続いた“最後の主要タイトル”として語られており、元イングランド代表のブライアン・ロブソン氏が「少年時代のヒーロー」と語るなど、クラブの歴史に刻まれる存在であった。
その後、マンチェスター・シティからマンチェスター・ユナイテッドに電撃移籍し、1シーズン在籍。以降はブラックプール、クリスタル・パレス、ストックポート、クルー、バンガー、さらには南アフリカのケープタウン・シティなど計11クラブで20年にわたってプレイした。
ウェールズ代表としては1963年10月のイングランド戦でデビューし、最終出場は1973年のポーランド戦。1964年のスコットランド戦では代表初ゴールを記録している。
晩年はボルトンでパン職人として穏やかな余生を送り、家族や地元コミュニティに愛され続けた。姪のケイシー・オールサップ氏は「私たち家族の誇り、ウェールズの伝説、ありがとう」と追悼の言葉を綴った。
ニューカッスルは「ウィンの家族と友人に心からお悔やみ申し上げます」と声明を発表。ウェールズサッカー協会も「すべての仲間の思いは彼の家族とともにあります」と哀悼の意を示した。空を駆けたデイヴィス氏は、今なおサポーターの心に生き続けている。