C・ロナウドを“稀代のゴールマシーン”に変えた男? マンU時代の同僚とは

かつてマンUでプレイしたC・ロナウド photo/Getty Images

キッカケは試合中の不満か

2010年代のサッカー界において、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシと共に頂点に君臨し続けたポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド。これまでのキャリアで通算760得点を誇る彼は、数いる“ストライカー”の中でもひときわ目立つ存在と言えるだろう。右足から放たれる強烈なシュートに、長い滞空時間を駆使した高い打点のヘディングなど、点取り屋として必要なあらゆるものを彼はハイレベルに備えている。

しかし、スポルティングCPからマンチェスター・ユナイテッドに加入したばかりの頃、C・ロナウドは単なる“期待の若手ドリブラー”の一人に過ぎなかった。当時の彼は自慢のボールテクニックを披露しようとするあまり、ゴールになかなか絡めない時間も。実際、マンU移籍初年度となった2003-04シーズンにはプレミアリーグで4得点、翌2004-05シーズンも5得点に終わっている。しかし、加入4季目となった2006-07シーズンにC・ロナウドは覚醒。リーグ戦で17ゴールを奪う活躍を披露し、一気にストライカーとしての能力が開花した。

そんなC・ロナウドの覚醒について、元同僚のリオ・ファーディナンド氏が言及している。マンU加入からしばらく単なる期待の若手に過ぎなかった男は、一体なぜ急にここまでの得点数を叩き出すことができたのか。その急成長には、覚醒の前年まで共闘した“あるストライカー”が関係しているのかもしれない。そのストライカーとは、元オランダ代表FWルート・ファン・ニステルローイ。彼とC・ロナウドに関するエピソードを、ファーディナンド氏は英『BT Sport』へ次のように語る。
「すぐには活躍しなかったけど、ロナウドは最初から抜群のテクニックを備えていたよ。多くのファンを、その技術で楽しませていたね。だけど、ルートはそれを快く思っていなかったみたいだ。ロナウドは派手なフェイントを繰り出す一方で、ボールロストも多かったからね。ボックス内に走り込んでいるルートからしてみれば、そう思うのも当然だろう。ドリブルに夢中となってパスを出さないロナウドに対して、ある日ルートは『アイツはサーカスに行くべき。ピッチにいる必要はない』と言った。当然、ロナウドは怒っていたね。『彼はなんでそんなこと言うのか』って」

「当時のロナウドは18か19歳だったかな。その年頃の選手なら、普通はルートにそう言われれば自信を喪失していたかもしれない。逆に、意地になって頑なに同じことを続ける選手もいるだろう。でも、ロナウドは違った。怒ってはいたけれど、結局彼はルートが正しいことを言っているのかもしれないと思ったらしい。そういった部分を直したことで、ロナウドは成功を掴むことができたんだ。彼が今、世界最高の選手として名を馳せているのはこういった部分も大きかったんだろうね」

まだティーンエイジャーながら、ファン・ニステルローイからの批判を真摯に受け止める冷静さを備えていたという当時のC・ロナウド。やはりスーパースターになる男というのは、若い頃から他の選手とは一味違う資質を備えているものなのだろう。“魅せるプレイ”からの卒業をキッカケとして、一気にスターダムを駆け上がることに成功したポルトガル代表FW。当時ファン・ニステルローイが不満の声を上げていなければ、稀代のゴールマシーンが誕生することはなかったか。もちろんC・ロナウドが覚醒した理由はこれだけでないだろうが、巡り合わせというのは本当に興味深いものである。

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