[特集/欧州蹴球10年の軌跡 03]ミラノ勢の凋落から始まったユヴェントス帝国 カルチョを語る上で欠かせない4キーワード

2010-11シーズンの主役はまだミラノだった

2010-11シーズンの主役はまだミラノだった

ユヴェントスを絶対王者へと押し上げたアッレグリ。2016-17シーズンのリーグ制覇が決まった瞬間、選手たちに祝福される photo/Getty Images

「ユヴェントスが復権を果たし、その地位を確立した10年間」。セリエAは、そういう時代だった。ここ10シーズンのカルチョを、4つのキーワードで振り返ってみよう。

 遠い過去のようだが、2010-11シーズンにセリエAを制したのはミラン。当時のカルチョの主役はまだユヴェントスが本拠地を置くトリノではなく、インテルとミランが火花を散らすミラノだった。イタリアではミラノこそが、世界にその名を轟かせるビッグネームが目指す場所だった。

 実際に、3冠を達成した宿敵インテルを倒すべく、ミランはズラタン・イブラヒモビッチやロビーニョといった実力のある選手を獲得。新指揮官マッシミリアーノ・アッレグリは、この強力な新戦力たちとすでにミランの顔であったクラレンス・セードルフやジェンナーロ・ガットゥーゾらベテランたちとをうまく融合させた。第11節終了時点で首位に立つと、そのままにシーズンを駆け抜け、スクデットを獲得したのである。
 このとき、インテルも2位につけている。一方で、ユヴェントスは勝ち点を大きく離されて7位。まだまだミラノの時代が続くかに思われた。しかし、その予想はあっけなく終わってしまうこととなる。

「所有スタジアム」の建設が一強体制誕生の一手に

「所有スタジアム」の建設が一強体制誕生の一手に

カルチョスキャンダルから6年の時を経て、ユヴェントスにスクデットをもたらしたコンテ photo/Getty Images

 カルチョスキャンダルで降格を経験したユヴェントスはまだその傷が残っていた。それでも、アントニオ・コンテ監督招へいやミラン構想外で獲得したアンドレア・ピルロの復活などもあり、2011-12シーズンにスクデットを取り戻すと、2014年夏に就任したアッレグリ体制でその座を不動のものに。より強くなって、本来在るべき位置に返り咲いた。

 その間、ユヴェントスの地位を脅かす存在がほとんど現れなかったことも特徴的だ。強豪の一角に入ったナポリは健闘したが、ミランやインテルは世代交代を急ぎすぎたばかりに、チーム改革に失敗して衰退していく。結果的に、2011年夏の移籍市場で、ライバルに塩を送る形になってしまったミランのピルロがいい例かもしれない。偉大な歴史を持つミラノの2クラブの不甲斐ない様は、多くのイタリアサッカーファンを落胆させたことだろう。

 そんな中で一強ユヴェントス誕生のきっかけとなったのが「所有スタジアム」の存在。これが1つ目のキーワードだ。ユヴェントスの地位確立は偶然ではない。カルチョスキャンダルの後遺症に苦しみながらも、セリエAのほかのどのクラブよりも最前線を走っていた。その象徴とも言えるのが、2011年9月にこけら落としとなったイタリア初のクラブ所有スタジアム「ユヴェントス・スタジアム(現アリアンツ・スタジアム)」の誕生だ。

 クラブ所有の近代的なスタジアムがなかったことは、かつて世界最高リーグと謳われたセリエAが衰退した原因の一つ。アクセスが悪く、治安も良くないスタジアムは人の足を遠ざけた。大きすぎるキャパシティによりガラガラに見えてしまう国際映像は、決してセリエAに良いイメージを与えなかった。

 ユヴェントスはそこにいち早く着手。7万人近く収容できる大規模スタジアムから4万1000人程度の中規模スタジアムにすることで、常にスタンドを満員に。サッカー専用ということもあり、客席とピッチが近く、世界の一流クラブと比べても遜色ないスタジアムを造った。今でこそ他クラブも具体的な話が動き出しているものの、ユヴェントス・スタジアムの誕生からは10年以上遅れることが確実になっている。この10年を振り返ると、スタジアム建設という一手が持つ意味はあまりに大きかった。

 新スタジアムの建設中は、収容人数が3万人以下のスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ(トリノのホームスタジアム)を使用していたため、完成以前の数シーズンとは比較することはできない。ただ実際にユヴェントスは、ユヴェントス・スタジアム完成初年度となる2011-12シーズンにホームの平均観客動員数を、前スタジアムのスタディオ・デッレ・アルピで2連覇を成し遂げた(のちに剥奪)2005-06シーズンから7000人以上増やしており、毎試合ほぼ満員状態のスタジアムを作り上げている。そして、新スタジアム誕生の勢いとそのファンの声援を後押しに、このシーズンで無敗優勝を成し遂げた。

 その後もユヴェントス・スタジアムの圧倒的な存在感は数字に表れている。ユヴェントスは2013年1月からセリエAホーム47試合無敗を達成。惜しくも2015-16シーズンの開幕戦でウディネーゼを相手に0-1の黒星を喫し、記録がストップすることとなってしまったが、さらにそこから公式戦ホーム57試合無敗という偉業を成し遂げている。ホームで2年以上も土をつけられることがなく、まさにユヴェントス・スタジアムは“鉄壁の要塞”と化したのだ。

「クラブの一貫性」が欠如したライバルたち

「クラブの一貫性」が欠如したライバルたち

2017-18シーズンのサッリ・ナポリは、華麗なパスサッカーであのペップをも唸らせた photo/Getty Images

 2つ目のキーワードは「クラブの一貫性」だ。一強体制を阻まなければならない他の名門クラブにはそれがなかった。

 2011年のファイナンシャル・フェアプレイ導入は、オーナーの資金力に頼るクラブが多かったセリエAにとって痛手だった。ただ、避けては通れない問題。いつか壁にぶち当たることは明白だった。インテルからモラッティ・ファミリーが離れ、ミランからベルルスコーニ・ファミリーが離れたことは、一つの時代が終わり、新たな時代の到来を感じさせた。

 インテル、ミラン、ローマといったクラブは、買収の話題が繰り返された10年間、それぞれ2度のオーナー交代を行っている。ファンも現場もピッチ上のことにフォーカスしたいはずだったが、内部ではそれ以上のテーマがあり、打倒ユヴェントスで一枚岩になれなかった側面は確実にあっただろう。

 監督交代や選手の補強を見ても、それが十分にうかがえた。特にインテルとミランはクラブの再建を目指すも首脳陣の方向性が定まらず、この10年間で前者は13名、後者は10名もの監督が指揮。いく度となく監督交代を繰り返してきた。

 また、前監督のもとでは主力だった選手が新監督のもとでは構想外となったり、将来有望と思われる逸材を獲得してもなかなか結果を残せなかったりと、補強が無駄になってしまうケースも。毎シーズンのように変わるクラブの方針に振り回されて、一歩踏み出しては振り出しに戻るを繰り返しているようでは、すでに強固な土台をつくりあげていたユヴェントスに、もちろん届くはずもなかった。

この10年でカルチョは独自性を失いつつある

この10年でカルチョは独自性を失いつつある

素早いトランジションとより攻撃的なスタイルで、2019-20シーズンに欧州を驚かせたアタランタ photo/Getty Images

 勢力図や経営陣だけでなく、プレイ面も少しずつ変わってきているのかもしれない。「カルチョらしさ」が消えつつある10年間だった。これが3つ目のキーワードだ。

 毎日会う人の変化に気づきにくいように、長くイタリアサッカーを追っている人には、カルチョはあくまでカルチョと見えるだろう。ただ、最近のインタビューでファビオ・カペッロは、「接触プレイに対するイエローカードが多くなった」と、近年のセリエAの変化を指摘していた。それにより、かつてあった肉弾戦まみれのカルチョがなくなり、テクニック重視のサッカーを求める傾向が強くなっているという。ただ、そのテクニックは所詮は付け焼き刃。スペインのような流麗なパス回しができるはずもなく、「プレイスピードが遅すぎる」と名将は酷評。どちらも中途半端になっているという分析だ。

 過渡期ゆえの問題。スペインのパスとイタリアのカテナチオのどちらが優れているのかという議論をしたいわけではない。ただ、サッリ・ナポリやガスペリーニ・アタランタのようなより攻撃的なスタイルが欧州舞台で脚光を浴びたように、この10年間で守備大国イタリアの独自性が失われつつあるのは確かかもしれない。

 判定を変えたからテクニック重視になったのか、テクニック重視を目指すために判定を変えたのかはわからない。ただ、これは今後に向けて注意しなければいけないテーマだと思う。

 さらに、VARでもまたサッカーが変わろうとしている。特にイタリアでは不可抗力のハンドも問答無用でファウルとする方針となっており、シュートブロック時は腕を隠すことが徹底されつつある。そういった意味で規律を重んじる日本人選手の価値はより高まるかもしれない。ただ、他国やチャンピオンズリーグの試合を見ると、そこまで厳密にファウル対象にはなっていない様子。紙一重の差が決定的になる場面では、小さくない違いが生じる。再びヨーロッパで地位を確立するために、イタリアがどうVARと付き合っていくのかも気になるところだ。

“冬”もあったが…… サムライの扉が開き出した

“冬”もあったが…… サムライの扉が開き出した

ミランの本田(左)とインテルの長友(右)。伝統のミラノ・ダービーで日本人対決が実現した photo/Getty Images

 4つ目の最後のキーワードは「日本人選手」だ。この10年間で、日本人選手を取り巻く流れも変わった。セリエAにおける日本人選手の価値が最も高くなった時代であり、それが急落した時代であり、再び盛り上がり始めた時代でもある。

 2010年夏、すでに森本貴幸がいたイタリアに長友佑都が到着。半年でチェゼーナからインテルにステップアップした。当時のインテルといえば、前シーズンに3冠を達成。長友加入直前にはクラブ・ワールドカップを制して世界一のクラブに。そんなクラブに日本人選手が移籍したのだから、衝撃的な出来事だった。

 2014年1月には、以前からイタリア移籍が噂されていた本田圭佑がミランに加入。名門クラブの背番号「10」である。日本人選手の価値は、過去最高になったと言えるだろう。

 ただ(活躍した時期はあったとしても)、本田はミランで成功しなかった。同じ時期に長友もインテルで定位置確保に苦しみ、移籍市場が開くたびに放出が噂に。2017年夏に本田がミランを去り、その半年後に長友がインテルを去ると、セリエAから19年半ぶりに日本人選手がいなくなった。

 それでも、"冬"は意外なほど早く過ぎ去った。昨年夏、冨安健洋のボローニャ加入で潮目が変わったのだ。若き日本代表DFはすぐにイタリアで活躍して評判を高めると、冬にはサンプドリアが吉田麻也を獲得。こちらもレギュラーポジションを手にしてシーズンを終えた。

 長友がイタリアで一定の評価を受けたことで、本田のイタリア移籍がたびたび報じられるようになった。これと同じ流れが、冨安と吉田の活躍により生まれそうな気配。再び日本人選手の扉が開き出している。

セリエAが再脚光 大物たちの新天地候補に

セリエAが再脚光 大物たちの新天地候補に

2 0 1 8 年夏、サッカー界に衝撃を与えたロナウドのユヴェントス電撃加入 photo/Getty Images

 前述のように、ユヴェントス以外のクラブも自前のスタジアムを持つ計画が進み出した。長い低迷のあとで昨季復権の狼煙をあげたインテルは、いよいよスクデットに再挑戦する準備が整ったように見える。アレクシス・サンチェスやロメル・ルカク、ディエゴ・ゴディンといった豪華メンバーを獲得し、積極的に補強を行うスティーブン・チャン会長の情熱をファンも認めている。ユヴェントスが復権を遂げたことで、クリスティアーノ・ロナウドのようなサッカー界屈指の大スターもイタリアにやってきた。これにより、ほかのビッグネームもイタリアを選択肢に含めるようになっている。最終的にバルセロナ残留となったリオネル・メッシのインテル移籍の噂も、少し前なら「何を寝ぼけたことを」と笑われるような噂だったが「C・ロナウドもきたんだし……」と、夢を見られるようになった。

 2010年の時点でユヴェントスの9連覇を予想した人がいないように、2020年にこの先の予想を的中させることなど不可能だろう。ただ、この10年間とは大きく異なるものとなることは間違いない。過去の清算を終えたユヴェントスがハイペースで駆け抜けた2010年から2020年の10シーズン。次の10年は、2010年代に清算を終えたクラブの逆襲が見られるのではないだろうか。

文/伊藤 敬佑

※電子マガジンtheWORLD(ザ・ワールド)249号、9月15日配信の記事より転載

記事一覧(新着順)

電子マガジン「ザ・ワールド」No.291 究極・三つ巴戦線

雑誌の詳細を見る

注目キーワード

CATEGORY:特集

注目タグ一覧

人気記事ランキング

LIFESTYLE

INFORMATION

記事アーカイブ