[特集/欧州サムライ伝説 10]日本人プレイヤーが求められる時代へ

誰からも愛された内田 酒井宏はいまも活躍中

誰からも愛された内田 酒井宏はいまも活躍中

2015年2月、CLラウンド16でレアルと対戦する内田。ビッグクラブとの対戦で経験値を高めていった photo/Getty Images

 中田英寿や中村俊輔といった先人たちの活躍により、時代を経るごとに日本人選手は補強の対象として世界各国からスカウティングされ、海を越えて移籍する選手がどんどん増えていった。勤勉で戦術理解度が高く、チームへのロイヤリティ(忠誠心)がある。こうした特長を持つ日本人選手は優良物件で、大きな期待とともに迎えられるようになっていった。

 実際に1年目からハイパフォーマンスを披露したのが、2010年7月に完全移籍でシャルケに加入した内田篤人である。シーズン当初は負傷明けで十分な力を発揮できなかったが、持ち前の攻撃的なプレイスタイルをみせるまでにそんなに長い時間は必要なかった。

 右サイドを献身的かつ精力的にアップダウンし、正確なパスを繰り出す。とくに、同サイドのジェフェルソン・ファルファンとのコンビはすぐにチームの武器となり、クラース・ヤン・フンテラールやラウールのゴールを何度もアシストした。

 当時のシャルケにはマヌエル・ノイアー、ベネディクト・ヘーベデス、イヴァン・ラキティッチ、ユリアン・ドラクスラーなどタレントが揃っていた。リーガこそ14位に終わったが、DFB杯に優勝し、CLではクラブ史上初の4強入りを果たしている。内田自身もリーグ戦26試合、DFB杯5試合、CL11試合に出場し、しっかりとポジションを確保。1年目ですでに、チームメイトやサポーターから愛される存在になっていた。

 このシーズンも含めて、内田はシャルケに8年間在籍。ケガのため実働したのは5シーズンだけだったが、実直なプレイスタイルと人間性で人々に強烈なインパクトを残した。シャルケサポーターは、いまでも「うっしー」を忘れてはいない。

 内田に続くように、11-12シーズンの冬に酒井高徳がシュツットガルトへ、12-13シーズンには酒井宏樹がハノーファーへ加入し、一時期ブンデスリーガは日本人サイドバックで賑わった。なにせ、ヴォルフスブルクの長谷部誠も右サイドバックを務めることがあったくらいだ。

 酒井高徳はシーズン途中の加入ながら、思い切った攻撃参加で前方への推進力を発揮し、すぐにレギュラーポジションを獲得した。2年目からは不動の右サイドバックとなり、12-13シーズンは27試合、13-14シーズンは28試合に出場している。

 ただ、チームの成績は奮わなかった。とくに、13-14シーズンはブルーノ・ラバッディア→トーマス・シュナイダー→フーブ・ステフェンスと監督が2度交代した。それでも、酒井高徳は試合に出続けた。良い選手は、どんな監督にも評価されるのである。

 ハノーファーでの酒井宏樹はチーム事情もあり、初年度は中盤の右サイドでプレイすることがあった。しかし、試合を重ねるごとに適正ポジションをチームが理解し、2年目からは右サイドバックに落ち着いた。このハノーファーには4年間在籍したが、最後の年に2部降格となってしまった。酒井宏樹が次に選んだのが、マルセイユだった。

 パトリス・エブラ、ディミトリ・パイエ、バフェティンビ・ゴミス……。マルセイユでのチームメイトは1年目から豪華だったが、すぐにチームへ馴染み、ポジションも掴んで安定感あるプレイをみせた。初年度の16-17シーズンはフィールドプレイヤーとしてチームで唯一、3000分を超える出場を達成している。ケガが少なく、身体が強いのも魅力のひとつである。

 その後も、というか、いまも継続して活躍しており、酒井宏樹のサッカーストーリーは現在進行形で書き込まれ続けている。今年30歳になったばかり。まだまだ、ステップアップできる年齢だ。

乾がカンプノウでダブル 吉田はチーム最古参に

乾がカンプノウでダブル 吉田はチーム最古参に

11年にドイツへ渡りボーフム、フランクフルトでプレイ。15年夏にはエイバルへ移籍。本文にもあ るバルセロナ戦の2得点など強烈なインパクトを残した乾 photo/Getty Images

 ブンデスリーガをみれば、12-13シーズンにニュルンベルクに加入した清武弘嗣も短期間でチームの中心となり、1年目に4得点10アシスト、2年目も3得点8アシストしている。しかし、いかんせんチーム状態が悪く、とくに2年目は3度の監督交代があり、17位となって2部へ降格。翌シーズンからはハノーファーでプレイした。

 14-15シーズンをハノーファーで迎えた清武は、第9節ドルトムント戦、第24節バイエルン戦でゴールするなど、32試合出場で5得点5アシストを記録。15-16シーズンも同じく5得点と安定した力をみせたが、またしてもチームが2部降格となってしまった。

 清武が過去4シーズンでみせたパフォーマンスを考えれば、もう少し上のクラブでも十分に活躍できたと考えられる。実際、興味を示しているクラブもあったが、推定800万ユーロ(約10億円)に設定された移籍金がネックに。最終的にはラ・リーガのセビージャへ完全移籍し、その後にC大阪へ復帰している。

 原口元気、武藤嘉紀などもチームのなかでしっかりと役割を果たし、自らの地位を確立することに成功した選手だといえる。原口がヘルタ・ベルリン在籍3年半で91試合4得点、武藤はマインツ在籍3年間で66試合20得点だ。印象深いのは、17-18シーズンの第7節バイエルン戦での原口だ。左サイドからドリブル突破を仕掛け、複数のDFを抜き去ってドゥダのゴールをアシストした。すると、原口はマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。このときのキレキレのドリブル突破を覚えているヘルタのサポーターは多いはずである。

 ラ・リーガでは乾貴士が15-16シーズンからエイバルでプレイし、ホセ・ルイス・メンディバル監督のもと2年目に頭角を現わし、時間をかけてポジションを獲得。ハイライトは16-17シーズンの第38節バルセロナ戦で、カンプノウで2得点してみせた。

 日本では横浜FMで試合に出られず、ローンでC大阪へ。海外でのプレイもブンデスリーガ2部のボーフムからはじまり、フランクフルトを経てエイバルへたどり着いていた。「はじめてカンプノウでゴールした日本人が僕でよかった。いろいろな人に夢や希望、勇気を与えられたと思う」と後に語ったのは、乾自身である。

 12-13シーズンにサウサンプトンに加入した吉田麻也は、日本人でもプレミアリーグ で活躍できることを証明した。ヨス・ホーイフェルト(30歳)、ジョゼ・フォンテ(29歳)などCBが高齢化しつつあったなか、24歳だった吉田はクレバーなプレイで屈強な相手選手に立ち向かい、すぐにポジションを獲得した。

 最初のシーズンも含めて、8年間の在籍で154試合に出場し、6得点している。この間、デヤン・ロブレン、トビー・アルデルヴァイレルト、フィルジル・ファン・ダイクなどとポジション争いを繰り広げてきた。彼らがビッグクラブへ引き抜かれるたびに、サウサンプトンのなかで吉田の重要性が増していった。19-20シーズンを迎えて、気がつけばチームのなかでもっとも在籍が長い選手のひとりになっていた。吉田は現在、その経験をクラウディオ・ラニエリ監督に買われ、サンプドリアで新たな挑戦に向き合っている。

 日本人選手がチームの中心となり、顔となる。数十年前までは、考えられないことだった。しかし、時代は移り変わるものである。今後数十年で、今度はどんな変化を遂げていくのか──。CL決勝で日本人同士が対決する日もそう遠くないのかもしれない。

文/飯塚 健司

※電子マガジンtheWORLD246号、6月15日配信の記事より転載

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