[特集/欧州サムライ伝説 5]世界に衝撃を与えた無名のアタッカー・香川真司

スタートから得点量産 鍵はポジショニング

スタートから得点量産 鍵はポジショニング

ドルトムントのリーグ制覇に貢献し、シャーレを掲げる香川 photo/Getty Images

 セレッソ大阪からボルシア・ドルトムントへ移籍したのが2010年、ドイツでは全く無名の存在だった。それだけに日本から来た小柄な若者が与えた衝撃は大きかったに違いない。

 2010-11前半戦17試合で8ゴール。アジアカップで負傷して後半戦を棒に振ったにもかかわらず、その年のベストイレブン(『kicker』選定)に選出された。それだけ前半戦の活躍は特別だったからだ。

 シャルケ04とのルール・ダービーでの活躍は大きかったと思う。10年9月に行われた第4節のダービーで2ゴールをゲットして新聞、雑誌の最高評価(1)を得ている。その後もルール・ダービーでは活躍を続け、勝負強さを発揮した。
 技術的には左右どちらの足も使えるのが強みだ。たんにどちらの足でも蹴れるというだけでなく、右回りでも左回りでもターンが速く、利き足でない左足を使ってのドリブルなど左右に差がない。ほとんどのプレイで片方の足しか使わない選手には、それ用の癖がついている。不得意なほうの足を使ったプレイは無難な選択になり、スピードも上がらない。利き足でプレイできる状況とそうでないときで、プレイの選択肢、速度、精度のいずれも大きく違ってくる。香川の場合はその差がほとんどないので、どんな状況でも妥協のないプレイができる。技術面でもアイデアでもプレイが半分にならないのだ。

 アジリティに優れ、右足のアウトを使ってピュンと右前へ出る速さが独特。ステップワークも巧みで、ボールを受けるときにGKのようにプレ・ジャンプをしていることも多く、最初のタッチでスピードに乗ることができる。直線はそれほど速くないが、ごく短い距離のスプリントとターンは速い。

 ドルトムントで得点を量産していたときに目立ったのはポジショニングの上手さだ。DFとDFの間にポジションをとってパスを受け、持ち前の敏捷さとコントロールの上手さで抜け出し、GKの届かない場所へ“パス”していた。あの体格でブンデスリーガの屈強なDFを相手に得点を量産できたのは、まともに勝負していないからだ。DFの間で受ける香川の前方は常に開いている。そのまま裏へ出るか、DFが前を塞ごうとしてくれば急旋回して外してしまう。最初のポジショニングで半分ぐらいは勝負がついていて、体をぶつけられることがないので体格差は問題にならない。

 テクニックの多彩さ、敏捷性、ポジショニングの良さ。そして瞬間的なアイデアの素晴らしさが真骨頂だ。シュートの威力はさほどではないが、香川のシュートはほとんどペナルティエリア内だ。パワーよりもコースが重要で、香川はGKがどこを守れないかを感知してそこへ“パス”していた。トレードマークの1つであるループシュートはその典型といえる。

 閃きと技術はシュートだけでなく、アシストでも随所に発揮されていた。相手の間で受けるセンスは、トップ下としてDFとMFの間でパスを受けるプレイにそのまま使われている。

 香川の加入とともにドルトムントの快進撃が始まり、最初のシーズンで9シーズンぶりのリーグ優勝、次の年はリーグとカップの二冠を達成している。ユルゲン・クロップ監督の下、バイエルン・ミュンヘンの一強支配を終わらせた意味は大きい。

チームを輝かせる異質な存在

チームを輝かせる異質な存在

走力が自慢のチームの中で、華麗なテクニックを武器に異彩を放った香川とゲッツェ photo/Getty Images

 ドルトムントの創立はエンブレムに記されている09、つまり1909年。教会の管轄下で活動していたが、厳しい締め付けに反発した若者がクラブを立ち上げた。エネルギッシュな若者が社会からはみ出すようにサッカーを始めたのがルーツだ。

 ドイツといえば規律というイメージがある。それは確かにそうなのだが、その反動として自由と解放を求める気持ちも強い。規律の正しさはドイツ人自身を息苦しくさせるのだろう。だからそこから一気に解放を求める。ヌーディスト文化が根づいているのは、ある意味ドイツらしい。規律と自由の振れ幅が大きいのだ。

 クロップは全盛期のバルセロナを「退屈だ」と言ってのけた人物である。一方的にボールを支配し、パスを回し続け、相手に何もさせずに勝つような試合が好きではないのだ。サッカーはもっと激しく、自由で、混沌としていて、生々しくあるべきだと考えていたに違いない。

 切れ目のない攻守と縦へ速い攻撃、そのために若くて走れる選手を集めた。香川も若い選手だったが、ドルトムントの志向するプレイでは異質な存在だったといえる。

 走力自慢の中、香川とマリオ・ゲッツェは小柄でテクニカルなタイプだった。ひとつまみの塩が甘さを際立たせるように、異質な存在がチームの色彩を輝かせる例はサッカーではよくあることでもある。ともすれば雑になりがちなドルトムントのスピーディーな攻め込みにおいて、香川の技術の正確さ、的確な判断力が攻撃の精度を保証していた。レヴァンドフスキやバリオスといった1トップをサポートし、ラスト30メートルでインスピレーションを発揮する香川の存在は、1トップを孤立させないという働きもあった。

 前線からの全員守備が特長であるドルトムントの中で香川の「軽さ」は異質だったが、実は守備はかなり上手い。フィジカルコンタクトでボールを奪うことはできないが、コースを切る、スペースを埋めるといった守備は上手で、チームの方針である前進守備は体格差が出にくい守り方でもあった。

 相性抜群だったボルシア・ドルトムントでの最初の2シーズンは、香川とチームが最も輝いた時期だった。

文/西部 謙司

※電子マガジンtheWORLD246号、6月15日配信の記事より転載


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