無念の電撃解任…… 困惑するハリル監督、自らの口で語った記者会見全文 part1

記者会見を開いたハリルホジッチ監督 photo/Getty Images

「最初は『えっ!? ジョークだろ』って思った」

ヴァイッド・ハリルホジッチ前日本代表監督は27日、日本記者クラブで会見を開き、電撃解任の件や自身の考えなどについて口を開いた。

紆余曲折がありながらも見事アジア最終予選を勝ち抜き、日本代表を6大会連続6度目のW杯出場へ導いたハリルホジッチ前監督。しかし、その後の欧州遠征などで結果を残せず、今月7日付で指揮官を解任された。田嶋幸三JFA会長は解任理由として「選手とのコミュニケーション不足」などを挙げていた。

ただハリルホジッチ前監督は、今回の解任について納得することができず。解任後初めて来日し、会見を開いた。以下、予定を大幅に超える1時間半にわたって行われた会見で、ハリルホジッチ監督が自らの口で語った言葉の全文である。
「お集まりのみなさま、こんにちは。このようにみなさま、今日はお越しいただきまして、どうもありがとうございます。今回初めて、4月7日以来、私の口からお話しをさせていただく機会となりました。やはり、ここ日本で3年間仕事をしてきたので、この地でお話をさせたいただきたい思いました」

「この日本という素晴らしい国で、私自身初めて体験してきました。そして、私が家族とともに大好きな日本という国であり、そこには伝統、歴史、文化、さまざまな習慣、それに加えて、いろいろな仕事のやり方があり、それを大いに評価しています。敬いながらやる日本という国。そして、私自身はこの日本という大変素晴らしい国に来たのは、観光客として物見遊山できたわけではなく、もしかしたら私のこの手でこの日本という国のサッカーに何かをもたらすことができるのではないか、という気持ちで来たわけです」

「私自身もこの素晴らしい日本という国を、こんな形で去ることになるなどとは考えたこともありません。私自身が今まで考えつく限りの最悪の悪夢の中でも、こんなことを考えたことは一度としてなかったです。私の志としては、この日本という国において、しっかりとした形で仕事を私のチームとともに終えたいと考えていたので、日本のサポーターの方々、日本の国民の方々にとって、この日本チームが素晴らしいヒーローという形で終わってほしいと思っていました」

「4月7日以来、私の人生において一番辛いと言ってもいい時期を過ごして来ました。人間として深く失望しました。このサッカーというものから考えると、なんて残念なんだろうと思いました。というのは、私は日本という地にW杯の準備のためにやって来て、我が代表チームをしっかりと予選通過させました。そしてまた、トップの方から一人のスタッフとして言い渡されたことですが、日本のサッカーというものを考えたときに、何かそこに欠けていたものがあると思いました」

「私自身はサッカーの世界で45年間仕事をしてきて、それもハイレベルなサッカーでの45年間。監督という職業は大変儚いもので、どんなときであろうと何が起こるかわからない。私自身がちょっと物事を知らなかった点があったのかもしれない。でも、私自身はそんなことを、今回はしていません。というのは、日本に来てやっていたこと、それはしっかりと仕事をして、我がチームのため、我がチームが成功するためにやってきた仕事ばかりだったからです。そして、私に対して通告されたことに関して、私は大変失望しました。私に対するリスペクトというものがなかったように思います」

「私自身この3年間にわたって、日本代表チームのためにいろいろな仕事をしてきました。ぜひそういたものをご説明したいと思いました。その3年間についてしっかりと誇りを持って仕事をしてきたと思っています。そして、そうしたものを責任者として果たしてきたと考えています」

「まずは私が最初の日に日本サッカー協会、JFAハウスに伺ったときに、私はこう伺ったんです。『私のオフィスはどこにあるんですか?』『いや、あなたのオフィスなんてありませんよ』。それですぐに私はお願いしたんです。『それだったら、私のためになんとかオフィスをしつらえてもらえませんか? 私のアシスタントたちにもオフィスをなんとかしつらえてください』とお願いしました。どうやらこれは、日本サッカーの歴史で初めてだったようです。代表監督が自分たちに対して『オフィスをしつらえてくれ』というようなお願いを出すのが。こうやって私たちは、毎日オフィスへと出勤して行ったわけです。代表チームをセレクションするだけでなくて、例えばメディカルスタッフも毎日このJFAにやってくる。みんなが毎日出勤してくる、そうしたものはみなさんにはちょっと馴染みがなかったみたいです」

「そしてその後は、みんなどういう仕事の割り振りをして、どういう仕事をやっていくか、組織立てをやっていきました。つまり監督として、コーチとして、メディカルスタッフとして何をやるのか。毎日ミーティングをしたり、テクニカルスタッフとともに実際に選手の試合など視察にもいきました。そして選手一人ひとりついての報告書というものを作っていく、レポートを作っていく。メディカルスタッフはどの選手がどう故障しているのか、そうした細かいデータをレポートとしてあげていきました。それからまた、スタッフとともにコミュニケーションを取り、毎日いろいろな作業をやってきました」

「オフィスにいて仕事をするときもあれば、実際に試合の現場に行って視察をするときもある。それは国内組の試合も、海外組の試合も同じです。そして毎週月曜日になると、全員のスタッフとミーティングをしていました。そして実際に、テクニカルスタッフとともに50人ほどの選手について、一人ひとりの報告書を作っていって、プラスアルファとしてGKの5、6人についての報告書を作り上げていきました」

「例えば、メディカルレポートということになると、故障した選手がいるならば、すぐ連絡を取ってどういう状況なのかを聞いてみたり、いろいろと広報・コミュニケーションのスタッフとも、それから何か問題があるときには管理部のスタッフともいろいろと連絡を取ってきました」

「そしてまた、代表チームのための合宿・遠征というものをしました。例えば、いつ合宿をスケジューリングするのか、どいう形で合宿をやっていくのかということで、スタッフの数にして50人ほどいたわけです。そのスタッフ一人ひとりに自分のやる仕事があって、それをやっていった。ですから、そうしたたくさんの方々に私からも、こんな形で仕事をしてきてくれてありがとうとお礼を申し上げたいと思います」

「3年の間、ありとあらゆる練習の場面でも、遠征でも、ほぼ完璧という形でセッティングすることができた。例えば、こうした練習というものをしっかりと準備して、どう行ったプランニングでやるのか。そして公式試合や親善試合の準備や調整。私の人生において、こんなにやる気で、みんなが規律正しくやってくれるところがあるというのは、今までの人生で見たことがありませんでした。そしてまた、練習の中身にしても、選手の集中度、そして質の高さにしても本当に素晴らしくて、ビッグなブラボー、ビッグなメルシーを申し上げたいです」

「3年前から私としては、誰ともなんの問題もなかった。特に選手との問題はなかったです。常にコンスタントに選手たちと連絡を取り合っていました。海外組であろうと、日本の国内組であろうと。もう何度、海外組の選手とも電話で話したことでしょう。国内組もそうです。ですから連絡を取り合って、コミュニケーションというものをコンスタントに取り続けてきたんです。それぞれが誰とどういう話をするのかということを、どのコーチが誰とどいう話をして、どういうメッセージを伝えないといけないのかを、きっちりとかっちりとやってきました」

「ですから、私の方は代表チームと一緒に合宿をやっているときも、公式試合をやっているときも、必ずオフィスをしつらえてもらって、選手たちに来てもらっていろいろと話し合いができる場というものを作っておきました。私だけではないです。私のアシスタントたちも、みんなが選手たちといろいろ話し合うことによって、調整や準備ができるようにしました。GKコーチはGKの選手たちと、アシスタントコーチは誰々と連絡を取ると決まっていて、連絡をしていた。そして、私は私でまたちょっと違った形で彼らと連絡を取っていました」

「この3年間、みなさまが証人になっていただけると思いますが、人前で誰か一人の選手を批判したことは一度としてありません。いつも私が言っていたこと、『そう、悪いのは私』。『批判するんだったら、ハリルを批判してくれ!』と言っていました。でも実際に、例えばピッチにおきまして、選手たちと1対1で話すときには、またちょっと違っていました。ですから、私が何か言いたいなと思うときには、ちゃんと面と向かっていうようにしているんです。選手によっては、こんなストレートな物言いに慣れていない選手もいたのかもしれません。でも私にしてみれば、この選手たち、このチームに対する思い入れというものが強かったんです」

「みさなんもご存知の通り、23人を呼んでチームを編成していても、23人全員が試合に出られるわけではない。試合に出る選手、それかられられない選手たちがいる。それは日本だけではなく、どこでも同じです。それで嬉しかったり、嬉しくなかったりもするわけですが。まさに歴史的な勝利でオーストラリアに勝って、W杯への予選を通過したあの試合の後ですら、2人の選手ががっかりしていた。試合に出られないということでがっかりしていた。でも、その前何度も試合に出ていた。そんな彼らががっかりしていること自体、私はちょっと悲しく思いました」

「すごく練習したんです、私たち。例えば、私は個人的にも2ヶ月、休みを1日として取らずにずっと働いてきました。もちろん休みを取ろうと思えば、いつでも取れる立場にあるんですけど、私が日本に来たのは、このチームを育てるためだったので。こうやって日本に来て、人々が私に頼んだのはW杯の予選を通過することであって、それが終わった後でいろいろやりましょうという話をしていたんです」

「さあ、それで予選は通過した。それも首位で通過したわけです。我々のいたグループというのは、それは大変なグループでした。みなさんの中には『いや、当たり前じゃないか。日本はいつも予選を通過してきたんだから』と言う方もいるかもしれませんが、そんな楽なことではありません」

「守備も攻撃もベストでした。それも歴史に残るような試合をしたんです。それも、こんなのは初めてだったんですよね? 初戦を落として、予選通過できるチームは。オーストラリアに最初に買ったんですから。全員がパニクってましたよ。特に『ハリル、若い選手を起用するじゃないか』と言ったときのみなさんのパニクりぶり。それにしも関わらず素晴らしい勝利というものを勝ち取ったわけです。そして、いろいろと疑問に思っていた人々が『彼らで大丈夫かな』と思っていた選手たちが、抜きん出た力を発揮してくれたんです。『こんな若い選手を呼んでおいていいのか』ということで納得していない方もいました」

「そして、UAEのチームに日本代表チームが初めてアウェイで勝った。また、もう一つ歴史的な勝利として対ブルガリア戦。7-2で勝った。ヨーロッパのチームにそれほどまでの差をつけて勝つというのは、かつてなかったことなんです。ですから、いろんな意味で成功してきた3年間でした。それでもみんな満足できない。でも私自身は、満足以上のものがありました。本当に難しいときだっただけに、私はこれだけできたということで満足していたんです」

「そしてこのチーム、チームを率いる人々にしても、ここ数年の間、パフォーマンスという意味ではなかなか厳しいものがあった。だからこそ、私自身は『今までやってきたあの選手に、誰か代わる選手はいないのかな』というふうに探していたわけです。そこに、いわゆる競争というものを取り入れました。もうちょっとベテランのお尻を叩いて、もう少し彼らが今まで以上に頑張ってくれるようにもしました。でもそういった意味で、いろいろ満足しないことがあった」

「でも、この3年間でしっかりと成功を手にして、誰もが満足をした。そして、今度は第3ステージに入るわけでして、それがW杯。私は就任したのは、なんといってもW杯あるからこそ。そこで、海外遠征を2回を行いました。その際には、世界における最高峰のチームとの試合をセットしたわけです」

「まずは去年11月の海外遠征。そして、今年3月の海外遠征。私の頭の中では、W杯に向けての調整だと思っていたんです。特に中盤とFWについて『何か良い解決策はないかな』と探していました。W杯が要求してくるもの。つまり、W杯でしっかりとパフォーマンスが出せる者を求めていたわけです。ですから、今まで以上に選手がもっと幅広い力を持ってプレイできるようにと考えました」

「ですから、結果のことはあまり頭になかったんです。対ブラジル戦、ブラジルといった世界一のチームじゃありませんか。となると、それに対して良い結果、そんなにすごい結果が出せるとは思わなかった。あくまでも、そういった試合によって経験を積ませることができたと思ったわけです。ブラジル戦、ベルギー戦、マリ戦、ウクライナ戦の結果というものは、満足のいくものではないかもしれない。でも、そこからたくさんの教訓というものを引き出すことができました」

「例えばブラジル戦、2回ゴールのシーンがあったわけです。ここ数年間の色々な試合を見てください。ブラジルに対して、2つゴールを入れることができたチームはいないじゃないですか。特に前半の最初の20分というは、大変ひどい状態だったんですよ。そのあとに、ハーフタイムのロッカーでハイレベルなチームに対して、どうすればいいかという話をしたわけです。ですから、あの試合の後は選手たちを大いに褒めました」

「ベルギー戦は、ほぼ完璧と言える試合でした。負けたとはいっても、ドローにでも、もしかしたら勝つことさえできた試合だったと思います。私としてはこの試合において、うちの代表チームには組織力があって、自分たちのプレイでしっかりと支配できていたというところで満足していたわけです。ですから、サッカーという意味で、ベルギーにおける遠征はそんなには良くなかったかもしれない。でも、そこでいろいろなデータや情報を引き出すことができた。それも、本当だったらいつもレギュラーでいる選手7、8人が、あのときには代表チームに入っていなかった。そんな状況でもあったんです」

「でも、前みたいにパフォーマンスが良くない選手もいるなっていうことも、私は見て取れました。だから、私の頭の中では『こうなったらどうするべきか』ということを考えていました。11月の最初の合宿のときには18人の選手を呼んで、2回目の遠征合宿のときには選手22人プラスGK2人。選手たちを試していたわけです。ご覧いただいたように、最後に中島を呼んだ。覚えていますよね。みんなにしてみれば心配だったかもしれないが、よても良い選手でした」

「つまりは、W杯のための調整であって、自分が何を求めているのか私自身はちゃんとわかっていた。そしてまた、私自身もいろいろと満足もしていたし、選手についてもいろいろな情報やデータもゲットしていた。そして、その次に来るのが一番重要な23人の選手を選抜するということになります。そこで、こういった問題というものが始まっていったわけです」

「何かいろいろな情報というものが私の耳にも入ってきてはいたものの、私はあくまでも自分の仕事だけに専念をしていました。ただ、そのときに『やるべき試合、プレイになっていなかった』ということを言う人もいました。ですから、こうした合宿をして、1ヶ月調整をかけて、なんでこんなにも問題が出てこなければならないのだろうか。そして、なぜ会長にしても、西野さんにしても『ハリル、問題があるぞ!』ということを1度として言ってくれなかったのだろう。本当に1度として。何かあっても、誰も何も言わなかった」

「西野さんの方は、私に何か言おうとしていた。マリ戦の後、私はパリに行ってフランス×コロンビア戦を見ました。その後、ベルギーのリエージュに戻ったのが午前4、5時というものすごい遅い時間になってからでした。そして、そこでちょっと話が来たわけです。『1人の選手があまり良い状態ではない』と。私は「いや、わかっています。そのことについては、あとで解決できますから」と言ったんです。残念ながらそこでいろいろなことが起こって、会長がたくさんの選手とか、コーチとかに連絡を取った。そして、私とともにいたのがジャッキーとか、シリルとか、GKコーチとか。何が起こったのかは、ジャッキーというコーチにも説明がなかった。私にとってもそれはびっくりしたことでもあり、ともにやっているコーチたちにとってもびっくりすることだった」

「そして、4月7日のことでした。会長の方からパリにお呼び出しがかかって、私はなんのことかわからず、ホテルの方へ出向きました。『こんにちは、こんにちは』と言って腰をかけ、『ハリルさん、これでお別れすることとなりました』という話だったんです」

「最初は『えっ!? ジョークだろ』って私は思ったんです。そして1分経って、会長に『なぜかをおっしゃっていただけますか?』って伺いました。そうしたら、つまりは『コミュニケーション不足』だと。それによって、私はそこでもっと怒りというものが沸き立って来たのです。そこで『どの選手?』と聞いたら『全般的に』というお答えで。その部屋から5分経って出ました。私はもう動転して、一体何が起こったのかわからなかった」

「それで、私と一緒にやってくれているコーチたちに電話をしたんです。1人はイングランドにいましたし、もう1人はドイツにいて、そこでうちの選手たちの視察をしていたんです。それで言ったんです。『うちに帰りなよ。終わったからな』と。みなさん、このコーチたちの反応がどうだったかということはご想像ください」

「このように会長から、そのお話をそのような形でされました。そしてまた、ありとあらゆる3年間やってきたことに対しても、監督をしている人間に対しても、リスペクトというものがないのではないか。そして、私とやってくれているこのコーチ・仲間に対しても同じ思いです」

「『韓国戦の後に解任ということも考えた』という話も聞きました。それだったら、私だって少し理解できます。W杯よりも日韓戦の方がいかに重要かということは、私もわかっているからです。だから、私自身の方からこうして全てをお話ししたいと思ったわけでして、やはり監督というのはいろいろと難しい思いをするときがある」

「もう1回、そう言った経験をしているんですよ、私自身。24試合目で(初めて)負けて、その後に解任ということがありましたから。そのときは会長が決めたことではなくて、大統領がそういった決定したという話を聞きました。まだまだまだ、いっぱいいっぱい申し上げたいことがあるので、ぜひみなさまの方からご質問をいただきまして、お答えする形でご説明したいと思います。まだまだいっぱい申し上げたいこともありますけれども」

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