“リオジーニョ”と呼ばれた男のキャリア 当たらなかったレンタル移籍

アーセナル時代の宮市 photo/Getty Images

怪我以外にもアーセナルで失敗した理由はあったか

日本のサッカーファンから大きな期待を受けていた超高速アタッカーがアーセナルと契約した日から、約10年の時が経過した。

英『Football London』が改めてスポットを当てたのは、高校卒業と同時にアーセナルへ向かった現ザンクト・パウリFW宮市亮だ。

多くのアーセナルサポーターは宮市のことを忘れているかもしれないが、日本のサッカーファンの間で宮市の記憶が消えることはない。それほど10代の若者がアーセナルと契約を結んだ衝撃は大きかった。
しかし、アーセナルで期待に応えることはできなかった。最初にレンタル移籍したオランダ・フェイエノールトでは実に快調な滑り出しを見せ、オランダ国内でもロナウジーニョならぬ「リオジーニョ」、「日本のメッシ」との言葉が踊った。

同メディアもここまでは順調だったと見ているが、その次の動きに関しては微妙だったと振り返る。イングランドでプレイできる権利を得たあと、宮市は2012年にボルトンへレンタル移籍している。これが最初のミスだったと考えられているのだ。

宮市がボルトンへ向かったのはシーズン途中の2012年1月だったが、残留争いに巻き込まれていたボルトンはそのシーズン終了後に2部へ降格している。降格の危機にあったボルトンへのレンタル移籍は正しかったのか同メディアは疑問視しているのだ。その後レンタル移籍したウィガンも2部へ降格しているため、レンタル先として両クラブは理想的ではなかったのかもしれない。

もちろん度重なる怪我も大きかった。加えてアーセナルにはアンドレイ・アルシャビン、テオ・ウォルコット、アレックス・オックスレイド・チェンバレンら実力あるアタッカーも揃う。2014年にはバルセロナからFWアレクシス・サンチェスまで到着し、宮市が割って入る隙はなくなってしまった。

当時チームを指揮していたアーセン・ヴェンゲルも宮市には大きな期待をかけていたはずだが、思うように育成は進まなかった。その1番の原因は怪我だが、イングランド国内でのレンタル移籍が上手くフィットしていれば結果は変わっていたかもしれない。

今はドイツ2部のザンクト・パウリで徐々にフォームを取り戻しており、同メディアもまだ活躍するだけの時間は十分に残されていると27歳の宮市に期待をかける。アーセナルで成功する夢は叶わなかったが、まだ欧州五大リーグで輝きを放つことは可能だろう。

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