水沼貴史のJリーグ発足秘話(前編)「代表だったけど、履歴書に“サッカー選手”って書けなかった」

1993年にスタートしたJリーグも早27周年目。同年5月15日に行われたオープニングゲーム(ヴェルディ川崎vs横浜マリノス)を皮切りに日本中がJリーグブームに包まれたが、当時のサポーターを熱狂させたのは、プロリーグ創設に伴い並々ならぬ覚悟を背負った男たちによる熱きプレイだった。

今回、特別コンテンツとしてお届けするのは「Jリーグ発足秘話」。83年より横浜マリノスの前身である日産自動車サッカー部でプレイし、マリノスの一員として開幕の歴史的瞬間に立ち会った水沼貴史氏を語り手に、前編ではJリーグ発足前夜を振り返る。プロリーグ化への希望が射すなかで、抱いた水沼氏の想いとは?

「自分のやってきたことが、社会に認められた」      

「自分のやってきたことが、社会に認められた」      

Jリーグ黎明期を知る水沼貴史氏に、当時を振り返ってもらった

ーー水沼さんは学生時代にユース代表としてご活躍され、83年から日産自動車でずっとプレイされていました。この80年代前半にどのようなサッカー人生を思い描いていらっしゃいましたか。


「当時プロリーグは無かったし、サッカーキャリアが終わったら普通に会社に勤めるというかサラリーマンなんだろうなというイメージで日産に入ったんですね。ただ、ずっと続けてきたサッカーで代表というのが目標にあって、ワールドカップは夢の夢みたいな感じだったけど、『オリンピックには出たいなぁ』と、その頃は思っていました。83年に普通に会社に入ったんですけど、85年からは嘱託というプロみたいな契約にしてもらって。そこから自分は職業としてサッカーをやっているという意識だったかな。でもそれは自分の意識だけで、実際日本サッカーリーグがプロだったかと言うとそうではない。環境としてはアマチュアだったというのが80年代だったと思いますね」


ーー当時のライフスタイルがどんな感じだったのか、お伺いしたいんですけれども。


「入社して2年くらいは会社に行っていたので、午前中は会社に勤務して午後に2時間から3時間くらいのトレーニングをするというのが続いて。嘱託というプロみたいな契約になってからは完全に会社へは行かなくなった。そんな日々でした」


ーーちなみに、会社でどのようなお仕事をされていたのでしょうか。


「生産課という、工場のラインに部品を供給するというような部署にいて、工場に部品を組み立てるための部品を外部から発注して、それを納入するみたいな。そんなところでした」


ーー貴重なお話をありがとうございます。会社員としての生活とサッカーの両立という、かなり大変な時期を過ごされたということですよね。


「まぁ、それは2年間ですね。でも当時はそういうのが当たり前だった。ただ、僕たちは他の会社と比べればある意味仕事を任せてもらえなかったというか。普段、午前中でいなくなってしまうからです。だから会社員としては凄く中途半端だったような気もします」


ーーそのような毎日を過ごされる中で、日本にプロリーグが創設されるという話を初めて聞いたのは、いつ頃でしたか。


「プロリーグ創設の話を最初に聞いたのは、多分87年から88年くらいだったと思います。メキシコ・ワールドカップのアジア最終予選で日本が韓国に負けて、本大会に行けなくなったというところから。韓国ではすでにKリーグというプロリーグができていたので、日本もプロ化しないとライバルの国に追いつけ追い越せができないんじゃないかという雰囲気になって。それで、先陣をきって協会などに働きかけしてくれたのが、その当時代表監督だった森孝慈さん。これがきっかけだと思います」 


ーーだんだんプロ化の話が具体的になっていくなかで水沼さんが感じていらしたことや、周囲の反応、環境の変化についてお伺いしたいです。


「入社してからの2年間は会社に勤めていて、3年目からはプロみたいな契約にしてもらって嘱託社員としてずっとやってきたんですけど、当時のリーグはプロじゃなかった。プロ化されるということは、自分のやってきたことがある意味社会に認められるような時代が来るのではないかと思ったわけです。自分としてはプロという意識でやっていたけど、社会的にはプロと認められていなかった。日本代表の人の名前くらいは世間に知られていたけれど、日本リーグでプレイしているその他の選手のことなんて多分みんな知らない。そんな時代だったので、自分のやってきたことが社会に認められるような時代がようやく来るという喜びというか、嬉しいなと思いましたね」


ーー社会の見る目が変わったと。


「多分、プロ選手になれば見られ方が全然違うんだろうなと。“サッカー選手”なんて書けないわけですからね、履歴書とかに」   


ーープロ化の話が出てくる前は、ということですよね。


「そうそう! 自分はプロみたいな形で会社と嘱託の契約をしているけれども、履歴書には“会社員”としか書けないんですよ。だけどプロリーグができればプロ選手として認められるから、“プロサッカー選手”って書ける。それは全然違うので」  


ーー当時のそうした喜びを、チームメイトを含めて色々な方と共有されたと思うんですけど、プロ化について当時のチームメイトや監督とお話しされたことがあれば教えて頂きたいです。


「入社3年目にプロみたいな形で嘱託の社員になるか、会社にそのまま会社員として残るかという選択があったんですね。僕は嘱託の社員の方を選んだんですけど、同期のなかには会社にサラリーマンとしてそのまま残るという判断をした人もいた。プロ化されるということは、自分たちが会社に対してやってきたことが認められるということだから、自分としては先が分からなかったけれど、プロみたいな契約にしてある意味“人生の勝負”をしたんですね。その当時は会社に入れば当たり前に終身雇用の時代だったのですが、そこを選ぶか、勝負して嘱託でやっていくかの判断は間違っていなかったと思います」


ーー思い切りましたね。


「そこでそういう判断をしてようやくプロになって、その舞台でできるっていう風になったから、『アイツの判断は正しかったんだ』とか、『自分もプロとしてやっていくんだ良かったな』とか、いろんな感情が周りの選手からは生まれていたはずです。だけど『良かったね』という話を周りの人とはしてないんです。自分のなかで噛みしめていただけ。環境が違う人もいたので、喜ぶわけにはいかなかったかな。今までやってて良かったなとは思いましたけど、本当に先の分からない世界だったので」 

万感の思いで迎えた1993年5月15日

ーー93年5月15日の開幕戦が近づくにつれて、どのような思いを抱かれましたか。


「当時は開幕して2週間くらいしたら33歳になるという年だったんですね。33となると結構なベテランじゃないですか。体力的な部分なんかを考えると、とにかく開幕戦のピッチに立ちたいという思いが一番だったんですよね。プロとして何年やるとかじゃなくて。とにかく93年5月15日の開幕戦の舞台、国立に立つというのが目標に変わっていた。トレーニングにしても他の選手たちと同じものをしていたし、トレーニングに付いていけなかったらそこの舞台に立つ資格なんて無いと思っていた。とにかく5.15だけを目標にしていましたね」


ーーこの表現が適切なのか分からないんですけど、当時の試合を拝見しまして、まるでカップ戦のファイナルのような感じがしました。ただ“その年の開幕ゲーム”というのではなく。


「そうですよね。あそこに立っていた人たちは、そういった思いでみんなやっていたと思いますよ。今見ても、もちろん技術的に雑な部分があったりとかあるけれど、伝わってくるものはあるなぁって。この間もちょうどNHKで試合が放送されていたけれど、それは凄く見ていて思いました。それだけのものをみんな懸けてやっていたと思う。責任もありましたからね。これからプロリーグが始まるという一番最初の試合だったし、『こんなんでプロなの』なんて思われても困る。自分たちが全力を出すことで人を惹きつけることができるという風に思ってやっていましたよ」


ーー開幕戦前夜のエピソードで今でも印象に残っているものはありますか。


「トレーニングにしても、前の日から多くのカメラが入っていて、明日いよいよ開幕ですという雰囲気は感じていました。地元が横浜だから、テレビ神奈川のカメラがずっと密着で付いていたんですよね。だから、ホテルで食事をしているところにもカメラが入っていた。それが凄く印象的でしたね」


ーーその時はどういった感情をお持ちでしたか。


「周りの関心が凄いんだなぁって。社会全体が注目しているから下手な試合はできないし、自分たちがやるしかないという覚悟をその時から持っていましたね。で、その次の日にホテルからスタジアムに向かうんですけど、当時クラブバスみたいなものは無かったんです。今はいろんなクラブが結構大きなバスを持っていたりするでしょ? 当時はそうではなくて、会社が作ってくれた大きなマリノスのステッカーを普通のバスのボディに貼ったんです。そのステッカーが貼ってあるということは、そのバスに選手がいるということが沿道の人たちに伝わるわけ。そうするとその人たちが『これが開幕戦を戦うマリノスの選手なんだ』って見上げるんですよね。その光景をバスの中で上から見ているだけで、テンションがどんどん上がっていく」


ーーワクワクしますね!


「国立に近づいてくると、沿道の人たちが持っているチケットをバスの中の僕たちに見せてくれるわけです。『これからこのチケットで、みんな試合を観に行くんだよ』って感じで、バスの下から見せてくれるの。それはこっちもテンションが上がるし、涙が出るくらい嬉しかった。それまでには無かった感情ですよね。何回も元旦に国立で天皇杯決勝を戦って、当時はそんなにサッカーを見に来てくれる人がいないなかでも、天皇杯決勝だけはたくさんの人が来てくれてバスを見上げてくれたんですけど、その時とも全然違う。『本当に期待しているぞ、頑張って!』みたいなものを凄く感じましたね」


ーー世間の注目という面でもそうですし、水沼さんのサッカー人生にとっても大事な試合になったということですよね。


「そうそう。会社に入って3年目から嘱託というプロみたいな契約にしてもらって、そこからもサッカーをずっと続けてきたけど、本当にプロになるか分からない状態でそういった契約を交わしたわけですからね。やってきたことがようやく認められて、プロという舞台でプレイできる。まぁ、“人生MAX”みたいな感じでしたね」 

※Jリーグ発足秘話(中編)に続く      


水沼貴史(みずぬま たかし):サッカー解説者/元日本代表。Jリーグ開幕(1993年)以降、横浜マリノスのベテランとしてチームを牽引し、1995年に現役引退。引退後は解説者やコメンテーターとして活躍する一方、青少年へのサッカーの普及にも携わる。近年はサッカーやスポーツを通じてのコミュニケーションや、親子や家族の絆をテーマにしたイベントや教室に積極的に参加。幅広い年代層の人々にサッカーの魅力を伝えている。



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