[名良橋晃]J30年で記憶に残るのは2001年2ndの柏戦、ダブルタッチから決勝点!

数的不利で迎えた終了間際 魂を込めたシュートで勝点3

数的不利で迎えた終了間際 魂を込めたシュートで勝点3

2001年2ndステージ第10節柏戦で決勝点となったゴールを決めて喜ぶ photo/Getty Images

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 1993年に誕生したJリーグが30周年を迎えました。私は1990年にフジタ(現湘南ベルマーレ)に加入し、1年目は会社員として仕事をしながらJSL2部を戦いました。翌年からプロ契約となり、JSL2部優勝、JFLを経て1994年からJリーグでプレイしました。

 その後に鹿島へ移籍し、多くの経験をさせてもらいました。湘南に戻って2007年に引退しましたが、ホントにいろいろなことが思い出されます。そうしたなか、記憶に残る一試合をあげるとすれば、2001年2ndステージ第10節の柏戦です。柏の葉競技場で開催されたアウェイゲームで、鹿島にとっては絶対に負けられない一戦でした。

 なぜなら、1stステージを磐田が制していて、2ndステージもこの時点で磐田が首位、鹿島は2位でした。年間王者になるためには2ndステージに逆転優勝し、チャンピオンシップ出場権をなんとしても獲得しないといけなかったんです。
 試合は前半を終えて0-0。アウェイとはいえ、優勝するためには「勝点1」では厳しいことはみんなわかっていました。しかし、後半がはじまって間もない時間帯(56分)に柳沢敦が退場に追い込まれ、数的不利な状況になりました。

 追い込まれましたが、リスクを冒して攻めないといけない。この年の鹿島は左SBに攻撃的なアウグストが加わっていて、右SBの私はバランスを取りつつも「自分が前にいきたい」という歯がゆさも感じていました。ただ、2ndステージはこの柏戦を終えると残り5試合と少なく、悠長なことを言っていられません。勝たないといけなかったんです。チャンスが来たのは終了間際(公式記録の得点時間88分)で、右サイドの深いポジションまで走り込んで小笠原満男からのパスを受けました。すぐに明神智和がマークに来ましたが、自然に身体が動いてダブルタッチでうまくかわし、自分でフィニッシュしました。狙ったシュートではなく、エイヤーで打った感じです。ただ、カズさんではありませんが、間違いなく魂を込めて打ったシュートでした。これが決勝点となり、1-0で勝利することができました。

 自分の足元にボールが来てからは、咄嗟に身体が動きました。クロスを入れようにも、ゴール前に人がいない。跳ね返されるとも思ったので、自分でいきました。決めた後は、もう頭が真っ白になりましたね。なにかセレブレーションをするとか、まったく思いつきませんでした。それでも、ベンチでトニーニョ・セレーゾ監督がいつものようになにか大きな声を出していたのはよく覚えています。

いまの選手がうらやましい 30年で確実に進化している

いまの選手がうらやましい 30年で確実に進化している

常勝軍団だった鹿島(2003年の集合)で名良橋は2006年までプレイした photo/Getty Images

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 引分けでも厳しい状況のなか、数的不利になっていよいよ追い込まれた。そこから自分のゴールで貴重な勝点3を積み上げ、チームも続く第11節で首位に立つことに成功し、2ndステージに優勝しました。さらに、チャンピオンシップにも勝って結果として年間王者となりました。こうした流れもあり、2001年のこの柏戦は忘れられません。

 会場が柏の葉競技場だったのも印象を強くしています。柏のサポーターが“聖地は日立台”というような抗議の横断幕を出していて、そうだよなと思っていました。陸上トラックがあり、鹿島のサポーターも数多く来ていたのでアウェイという感覚はなかったです。いま考えると、あの時期だけでしたが、柏の葉競技場でよく開催したなと思います。柏の聖地はやはり日立台で、あの迫力は他会場で出せるものではないでしょう。

 ゴールを決めたあの日は、柏の葉競技場から後輩の車に便乗して帰りました。古い話ですが、私はJリーグ誕生以前も経験していて、集合場所のホテルに自分でドクターバッグを持って電車で移動したこともあります。30年が経過し、選手を取り巻くこうした環境は確実に進化しています。

 いまの選手たちも苦労はあると思いますが、プロとして認められています。正直、うらやましいですね。全国各地に専用スタジアムが増え、W杯に出場するのが日常となり、世界との距離が縮まっています。間違いなく、この30年で日本サッカーはいろいろと進化してきました。それに応じてプレッシャーの質も進化していると思いますが、それなりの環境でプレイできているいまが“当たり前”ではないということは伝えたいですね。

 これからの30年を考えると、またいろいろな進化があると予想されます。いろいろなチーム、いろいろな選手が歴史を作っていくでしょう。Jリーグが活性化することで、世界との距離がより近くなり、日本代表がW杯でベスト8以上に進出することを期待します。

 Jリーグのシーズン制が変わっているなら、札幌ドームのような全天候型のスタジアムが増えているはずです。レフェリングも進化し、ピッチからレフェリーがいなくなっているかもしれません。なにより、一番は野球や相撲のようにJリーグが文化としてより根付いているといいなと思います。

 私個人についてもお話しさせていただくと、30年後は80歳を超えています。ボールを蹴る機会は減っていると思いますが、続けていたいですね。そこは目標として持っておきたいです。これからの30年もアグレッシブに活動していければいいなと考えています。

 文/飯塚 健司

電子マガジンtheWORLD(ザ・ワールド)281号、5月15日配信の記事より転載

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