[若きサムライ インタビュー#5]MF秋野央樹「サッカーのために生きてきた」

柏U-12に加入するも最初は萎縮していた

柏U-12に加入するも最初は萎縮していた

プロ3年目の2016年はリーグ戦16試合に出場した秋野央樹 photo/Getty Images

──サッカーとの出会いを教えてください。

秋野 通っていた印西市のきかり幼稚園で柏イーグルスというチームがスクールをやっていて、友だちに誘 われて入りました。ただ、ボクは覚えていないのですが、「練習中に友だちが引っ張ってくる」と両親に訴えていたらしいです。おそらく、最初はサッカーが好きではなかったのだと思います。それでも、スクールのコーチが明るく、楽しく教えてくれたのを覚えています。そのおかげで、辞めずに続けられました。

──9歳で柏レイソルU-12に入っていますね?

秋野 小学生になって父親の友人がコーチをしていた木刈FCに入り、 4年生になってある大会に参加しました。そこにレイソルのジュニアユースも出場していて、そのときにレイソルのチームがあるんだと知りました。さらには、準決勝で対戦して2-7ぐらいで大敗し、同年代にすごい人たちがいるんだと実感しました。さっそく両親がレイソルのことを調べると、 ちょうど同じころにセレクションがあるとわかり、力試しも兼ねて受けることにしたのです。

──そして、見事に合格したのですね。

秋野 最初は入れると思っていなかったのですが、1次を突破し、2 次、3次と進むうちに「絶対に入りたい」という気持ちが強くなっていきました。最後はなにがなんでも受かってやろうと思い、紅白戦で必死に声を出してボールを呼び込みました。 後日、家に合格通知が届いたときはうれしかったです。両親に迷わず「入りたい」と伝えました。

──技術力の高い子どもでしたか?

秋野 チームでリフティング大会があったときに、みんなが100回もいかないなか、300回ぐらいできていました。そこは誇れるところです。幼稚園のころからずっとボールを蹴っていたので、足のどこでボールを蹴るとどこに飛ぶかという感覚が身についていたのだと思います。

──実際にレイソルU-12に入ってみての印象はどうでしたか?

秋野 みんな身体が大きくて、キック力があるし、ボール扱いもぜんぜん違いました。正直、最初は不安でいっぱいでした。それまでは声をすごく出す選手だったのに、萎縮してしまってなるべく目立たないようにしていました (笑)。時間の経過とともに自分を出せるようになり、徐々に慣れていった感じです。

プロになるために多くの犠牲を払ってきた

プロになるために多くの犠牲を払ってきた

2013年の中国戦より。小学生のころから代表に選ばれており、豊富な国際経験を持つ photo/Getty Images

──サッカーをはじめたころからボランチや左SBでプレイしていたのですか?

秋野 木刈FCではFWをやっていました。いろいろなポジションをやりはじめたのは、レイソルに入ってからです。ボランチや左SBをやることで、 サッカーについて改めて考えさせられました。自分の役割、ポジションなど 深く考えるようになり、選手として成長していきました。高学年になって左SBでナショナルトレセンやU-14代表に呼ばれたので、ポジション変更はボクに合っていました。

──小学生や中学生のころは、どんなことを意識してプレイしていましたか?

秋野 小学生のときは足が速かったのに、中学生になるとまわりがグッと速くなり、レイソルのなかで遅いほうになってしまいました。当時はSBをやっていましたが、スピードでは勝てなくなり、タイミングで勝負しないといけないと考えるようになりました。また、攻撃参加しないときに前線へどれだけくさびのパスを入れられるかも常に考えていました。

──そのままレイソルU-18に進み、高校2年生のときにU-17W杯に出場していますね?

秋野 メンバーに選ばれたときは、 参加できるとわかって本当にうれしかったです。同時に、大会までに100名以上の選手が呼ばれていたので、しっかりと責任を持って臨まないといけないと思いました。自分で良いのだろうかという疑念もあり、うれしさと不安が入り交じったなか臨んだ大会でした。

──ベスト8という結果はどう受け止めていますか?

秋野 当時は「よし!」という気持ちでしたが、あのときのメンバーをみると、いまJ1で活躍している選手がけっこういます。そう考えると、もっと勝ち進めたのかもしれません。ただ、準々決勝で対戦したブラジルにはアデミウソン(横浜F・マリノス)やルーカス・ピアソン(フィテッセ)がいたし、各国のビッグクラブのスカウトが見に来ていた大会です。そういう世界の舞台で日の丸のついたユニホームを着てピッチに立ち、緊張感のあるなかプレイできたのはよい経験になりました。できればブラジルに勝ちたかったですが、日本に勝ったブラジルは準決勝でウルグアイに0-3で敗れ、そのウルグアイも決勝でメキシコに0-2で負けています。世界の広さを実感した大会でした。

──ブラジル戦には2-3で負けていますね?

秋野 スコアは1点差ですが、個人的には完敗でした。前半がはじまってすぐに、「これはダメだ」と思ってしまって、前半が早く終わることを願っていました。そんな状態だったので、前半途中で交代させられました。試合前に整列したときに、ブラジルの選手から殺気が出ていて圧倒されてしまったんです。試合前の駆け引き、気持ちで負けていたので、交代させられても仕方なかったです。

──そうした経験を経て変わったことがあったとしたら、どんなことですか?

秋野 そのころは身体の線が細くて、海外の選手と対戦するとよく転んでいました。以前から身体を鍛えることに取り組んでいましたが、大会後はより体幹トレーニングや筋力トレーニングに励むようになりました。

──サッカーに費やす時間が長くなりましたか?

秋野 中学生のときから、すでにサッカーに多くの時間を割いていました。 中学、高校では修学旅行に行くかどうかを選択できたのですが、どちらも行きませんでした。サッカーのために犠牲を払ってきたというか……。サッカーのために生きてきました。勉強もサッカーに影響が出ないように、本当に必要なぶんだけやってきました。高校3年生になると絶対にプロになるんだと考えていて、午前中はトップの練習に参加して午後から学校に行くという生活を送っていました。他の生徒と一緒に授業を受けることはほぼありませんでした。プロになるためには、それだけの犠牲を払わなければならなかったのだと思っています。

──いつごろからプロになることを意識していましたか?

秋野 いつの間にかサッカーのために生きようと考えていましたね……。 中学生のときから練習が終わるとクラブハウスでご飯を食べて、家に帰るとお風呂に入ってストレッチをしながら海外のサッカーを見るという生活を送っていました。そういう小さい積み重ねがプロにつながったのだと思います。ボクは身体能力が高いわけではありません。足も速くないし、背もあまり高くない。身体も細いです。だからこそ戦術眼を磨かないといけないので、海外のサッカーを見てきたし、いまも見ています。そこは自分なりに考えて行動してきたつもりです。

リオ五輪に出るためにJ1でバリバリ活躍する

リオ五輪に出るためにJ1でバリバリ活躍する

2014年にはアジア大会に出場。パレスチナ戦などに出場し、存在感を示した photo/Getty Images

──過去に出会った指導者から言われた言葉で、覚えているものはありますか?

秋野 U-17W杯でブラジルに敗れたあと、監督の吉武(博文)さんから 「お前らはリオ五輪に出場して、そのあと必ずロシアW杯に行け」と言われました。この言葉は胸に刻んでいます。プロ2年目にネルシーニョ監督から「うまいだけじゃ生きていけないぞ」と指摘されたのも忘れないようにしています。それ以前から「球際にもっと強く。守備でもっと粘り強く」と言われていました。要は、「守備をもっとやれ」ということであり、同時に「お前ならできる」というメッセージも込められています。ボクのことを考えて指摘してくれた言葉なので、しっかりと受け止めてそこから考えが変わりました。

──良い指導者に出会ってきたのですね?

秋野 トップチームに昇格したときに強化部長だった吉田達麿さんからは、「地に足をつけろ」と言われました。これは自分のテーマになっています。活躍するとまわりの見る目が変わり、チヤホヤされるケースがあります。 そういうときこそ、地に足をつけていままでどおりの自分を保たないといけないと思っています。

──トップに昇格したときに、ご両親とはどんな話をされたのですか?

秋野 小学生、中学生のときは両親に車で駅まで送ってもらい、レイソルに通っていました。少なからず不安があるなか、快く通わせてくれたので本当に感謝しています。なんでも自由にやらせてくれる両親で、ボクが決めたことになにかを言ってくることはほとんどありませんでした。プロになるのが目標だとわかっていたので、トップに昇格したときも素直に喜んでくれました。

──3年目の今シーズンは、リーグ戦16試合に出場しています。現状、どんな部分が課題だと考えていますか?

秋野 後ろでボールをまわすことに関しては、ほとんどミスすることなく効果的につなげています。ただ、それが何回ゴールに直結しているかと言ったら、正直それほどでもありません。今後はもっとゴールにつながるパスやアシストにつながるパスを出さないといけないと考えています。

──リオ五輪は自身のなかでどんな位置づけになっていますか?

秋野 力不足もあり、12月18日に発表されたアジア最終予選を戦うメンバーには入れませんでした。ただ、自分がやれることは精いっぱいやっているので、あとは予選を戦うみんなにすべてを託します。ぜひ出場権を取ってほしいです。いまのボクは球際の争いだったり、狡賢さの面で力強さが足りません。他の部分は決して劣っていると思わないので、良い面を評価してもらえるようにウィークポイン トを少しずつ減らしていきます。

──本大会を戦うメンバーに入るためには、なにが必要だと考えていますか?

秋野 同じポジションの選手をみると、J1でバリバリ出場している選手もいます。なので、まずはJ1でコンスタントに試合に出ることが必須条件だと考えています。そして、試合ではゴールに直結するパスを出す。前方への推進力を増すことが大事だと考えています。

──数年後、どんなサッカー選手になっていたいですか?

秋野 とにかく息の長い選手になりたいです。たとえば、ガンバの遠藤保仁選手。いろんな人から信頼され、長くプレイできるああいうタイプの選手になりたいと思っています。
 
選手名:秋野 央樹(Hiroki Akino)

所属クラブ:柏レイソル

1994年10月8日生まれ。千葉県出身。176㎝/68㎏。木刈FC→柏レイソルU-12→柏レイソルU-15→柏レイソルU-18→柏レイソル。高い技術力を持つ左利きのボランチ。状況に応じて、アンカー、左SB、CBもこなすマルチな能力を持つ。

インタビュー・文/飯塚 健司

photo/Getty Images

theWORLD169号 12月23日配信の記事より転載
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