欧州域内のクラブ間移籍を自由化させ、プロサッカー界の自由競争を加速したボスマン判決から20年が経過。当時、欧州の各クラブは判決が自分たちに不利なものであると捉えたが、後に考えを切り替え、それを最大限に利用した。
アヤックスの下部組織出身のデニス・ベルカンプ、パトリック・クライファートはそれぞれアーセナル、ミランが引き入れ、リヴァプールはノッティンガム・フォレストからスタン・コリーモアを獲得。レアル・マドリードも例にもれず、1999年にリヴァプールからスティーブ・マクマナマンを加えるなど、その波に乗った一クラブであった。
とはいえ、スペインで国外の選手が急増することへの警鐘は、鳴り止まなかった。熱狂的なレアルファンとして知られるスペインの著名作家ハビエル・マリアスもその一人であり、自身が連載するコラムで「今、我々のリーグは外国人で一杯だ。レアルもそれに当てはまるが、現在のチームが自分の生を受けた土地の代表と信じ込むには骨が折れる」と記した。ただ、彼はそれを時代の流れとして受け止めてもおり、一つの定義が揺らぐことさえなければ良しとしている。
「たとえピッチに立つ11選手が全員外国人になろうとも、やはり、レアルは私のチームであり続けるはずである。それはユニフォームやスタジアムではなく、スタイルによってだ。それこそがイタリアではティフォージ(熱狂的ファン)と呼ばれる人種の要求するところであり、新入りや外国人を含め、すべての選手に課せられなければならない。説明は難しいが、ティフォージであれば私のことを理解してくれるはずだ。絶対にね」
レアルのスタイルは、泥臭くも最後まで勝利を狙う姿勢とされる。スター選手がいてもいなくても、悪い時期を過ごしていても、敗戦に抗い勝利に貪欲であり続けること……。
それは守備から攻撃のすべてをこなした全能なるアルフレド・ディ・ステファノ、気性の荒さを勝利への執念に昇華したフアニート、そしてラウール・ゴンサレス、クリスティアーノ・ロナウドと、1950年代から脈々と受け継がれてきたものだ。もちろん、攻撃的な、退屈しないサッカーも重要視されており、96-97シーズン、06-07シーズンと2度にわたってレアルを率いたファビオ・カペッロは、そのどちらでもリーガを制しながら、守備的戦術を敷いたとの批判によってクラブを後にしている。
さて、現在レアルを率いているのはラファエル・ベニテスだが、現時点では地元出身という以外にチームとアイデンティティを共有していない。就任当初に「守備面を少し改善する必要がある」と話した際には、彼が守備的戦術を敷く指揮官というレッテルを貼られてきたために疑いの目も向けられたが、そこには一理もあった。
11-12シーズン以降、リーガ優勝から遠ざかるレアルは、タイトルを競うライバルと比べて多くの失点を許してきた。12-13シーズンは優勝したバルセロナが40失点であったのに対して、1位レアルは42失点。
13-14シーズンは1位アトレティコ・マドリード26失点、バルサ33失点、レアル38失点。昨季は1位バルサ21失点、2位レアルは42失点、3位アトレティコ31失点。ジョゼ・モウリーニョにカウンター、カルロ・アンチェロッティにポゼッションによる攻撃を植え付けられた最近のレアルだが、ベニテスは残った課題である守備の問題を改善することにより、成功を手にできると考えたのかもしれない。
そうしてシーズンをスタートさせたベニテス・レアルは10節、チャンピオンズリーグ(CL )・グループリーグ4節までは10勝4分けと無敗を貫き、失点も4にとどめるなど結果だけでは好調ぶりを示した。が、守備は組織的な動きのほか個々人のミスによってGKケイロル・ナバスの好守ばかりに頼り、攻撃はガレス・ベイル、ハメス・ロドリゲス、そしてカリム・ベンゼマの戦線離脱の影響もあるものの、以前より守備を重視するようになったことで前へと出る機会が減少。要するに、宙ぶらりんの状態に陥ったのだ。ナバスが負傷で欠場した11節セビージャ戦で初の敗戦を喫すると、スペインメディアからは「いつか訪れると分かっていたこと」と言い切られ、選手たちは番記者陣にベニテスの守備的采配の愚痴をこぼし始めている。
そして、現在のレアルで何よりも危惧すべきは、チームの伝統的なスタイルが感じられないことにある。アトレティコとのダービー、セルタ戦、そしてセビージャ戦で顕著だったが、今季のチームは好パフォーマンスを見せてリードを得た途端、一気にガスが抜けてしまう。リードを広げるための決定機など、まるで必要ないかのように無難にボールを回し、相手の執念を前に後ずさり……。マドリディスタが、最も嫌う姿勢である。
21日に行われるクラシコを前に、C・ロナウド、セルヒオ・ラモス、マルセロがベニテスと話し合いの場を持ち、守備に引っ張られるチームが攻撃面の長所を引き出せておらず、この大一番では攻撃的に出るべきとベニテスに詰め寄った。指揮官はこれに対して、これまでの采配が負傷者の続出によってやむなく振るったものと説明したようだが……。
いずれにしろ、戦線離脱者もほぼ起用可能となるサンティアゴ・ベルナベウを舞台としたクラシコで、ベニテスは裁判にかけられることになる。一つ言えるのは、クラシコで敗戦した指揮官が語る「優勝は最後に決まる」という常套句は、供述として事実に反するもの、ということだ。
それを体現する、マリアスのもう一つの言葉を紹介しておこう。「監督がたとえそう話しても、我々の白き心は黒く染まり、身体の一部は壊死を起こす。サッカーは都合の良いものであり、それはバカ正直な心を発露させる。すべては実現可能と信じ込ませるため、悲劇は悲劇で、惨事は惨事でしかないのである。ゆえに悲劇や惨事が生じれば、たとえ7日後に次の試合があることを分かっていても、その一戦だけで世界は終焉を迎えるのだ」。