Jを彩ったレジェンド5人が功労選手賞受賞

5人はいま、何をしている?

Jリーグは、新井場徹氏、中田浩二氏、藤本主悦氏、宮本恒靖氏、柳沢敦氏の5人に功労選手賞を贈ることを発表した。同賞は、Jリーグや日本サッカー発展のために貢献したと認められた選手に贈られる。

新井場徹

1997年にユースから所属していたガンバ大阪でJリーグデビューを果たす。2004年にはタイトルを求めて鹿島アントラーズへ移籍を決意するが、移籍後3シーズンタイトルから見放されてしまう。しかし、2007年の7リーグ優勝をきっかけに、6年間で7個のタイトル獲得に貢献。日本代表として試合に出ることはなかったが、公式戦通算574試合に出場。2002年、2008年~2010年にJリーグ優秀選手賞を受賞している。現在は、自身がオーナーとなり設立されたFCティアモ枚方の代表として、同クラブのJリーグ参入を目指している。
中田浩二

1998年、鹿島アントラーズに加入し、2000年には主力選手としてクラブの3冠達成に貢献。その後、マルセイユやバーゼルやに在籍し、ヨーロッパでも活躍した。2008年に鹿島に復帰すると、クラブが勝てない時期にスタメンに定着し、クラブは3連覇を達成する。2000年~2002年に優秀選手賞を受賞し、2001年にはベストイレブンに選出された。日本代表としても2002年・2006年のFIFAワールドカップに出場。現在は、鹿島でクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)として、裏からクラブを支えている。

藤本主税

1996年にアビスパ福岡に加入し、同年にJリーグデビュー。その後、19年間で6つのクラブに所属し、各クラブにおいてキャプテンシ―を発揮し、主力選手として活躍した。公式戦通算532試合に出場し、64得点を挙げている。2001年には日本代表として、2試合に出場した。現在は、自身の最終所属クラブであるロアッソ熊本で、ジュニアユースの監督を務めている。

宮本恒靖

1995年にガンバ大阪ユースから、クラブ史上初となるトップチーム昇格を果たす。1997年に初ゴールを挙げると、同年のオールスター戦にも初選出された。2000年からはクラブのキャプテンに就任し、2005年にクラブ史上初となるリーグ優勝をもたらした。その後、オーストリアのザルツブルクやヴィッセル神戸でプレイ。日本代表でも2002年・2006年のFIFAワールドカップメンバーに選出され、2006年大会ではキャプテンを務めた。現役引退後はJリーグ特任理事に就任。2015年からはガンバ大阪のアカデミーコーチングスタッフとして活躍している。

柳沢敦

1995年に鹿島アントラーズに加入。すぐに出場機会を得ると、デビューイヤーで公式戦6得点を挙げる。その後クラブで9個のタイトル獲得に貢献すると、海外移籍に挑戦。イタリアのサンプドリアやメッシーナに所属した。2006年に鹿島に復帰すると、20007年にクラブと自身の悲願である10冠を達成。その後、京都サンガやベガルタ仙台でプレイし、Jリーグ371試合に出場して、108得点。通算得点ランキングで10位につけている。1998年に新人王、1998年、2001年、2008年にはベストイレブンを受賞した。日本代表としても58試合に出場し、17得点。2002年・2006年のFIFAワールドカップに出場した。現在は、古巣鹿島アントラーズでコーチを務めている。


いずれの選手も日本サッカー発展に大きく貢献し、多くのサポーターに愛された選手だ。功労選手賞の表彰式は、12月21日に開催されるJリーグアウォーズで実施される。

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